「未来を生きる君たちへ」見たよ


舞台はデンマークの郊外。学校で深刻なイジメに遭う10歳の娘・エリアスは、医師としてアフリカの難民キャンプに赴任している父親・アントンだけが心の支えだった。ある日、エリアスのクラスに最近母親を亡くしたクリスチャンが転入してきた。イジメに遭っていることを知ったクリスチャンはエリアスの仕返しを企む。それをきっかけにエリアスは、彼に心を開くようになり…。

『未来を生きる君たちへ』作品情報 | cinemacafe.net

フォーラム那須塩原にて。

4ヶ月前(もうそんなになるのか...)に大阪へ行ったときにシネリーブル梅田で「小さな哲学者たち」を観たのですが、そのときにこの作品の予告が流れていましてすごく観たいなーと思っていました。そして先週、はれて栃木でもこの作品が公開されましたので張り切って観に行ってきましたが、全体的にすごく地味な割にずっしりとしたものが心に残るすごくよい作品でした。


この世に生まれてきてよかったと思うかどうか。


そんなのは正しい答えのない質問だとは知っていますが、わたしはよくこんなことを考えてしまいます。
生きていれば楽しいことも辛いこともあるのはよくわかっていますし、どちらかというと楽しいことよりも辛いことの方がわたしの人生には多いような気がしています。でもわたしがこの問いに出す答えは毎回「この世に生まれてきてよかったと思う」という答えであり、それはたぶん自分自身がそうだと思い込みたくてこの答えを出しているんだろうなと思います。


本作を観ていてふと思い出したのは、わたし自身の幼い頃の思い出でした。
エリアスのようにいじめられていたわけではありませんでしたが、他者とうまくコミュニケーションが取れなくて家にも学校にも自分の居場所が感じられなかった毎日は、エリアスが感じていたような絶望的で閉塞感に満ちた毎日と同じでした。
そしてクリスチャンのように内なる怒りのやり場に困っていたわけではありませんでしたが、自分の中にある複雑な感情を扱いきれずに途方にくれてしまっていたところは彼とまったく同じだったと言えます。


当時のわたしに「生まれてきてよかったかどうか」なんて聞いても、毎日がつらくてしょうがなかったあの頃は生まれてきてよかったなんてたぶん言わなかっただろうなと思います。


そしてそう考えると、上で書いたようにいまのわたしが生まれてきたことを無理やりにでも肯定しようとしてるのは、この幼い頃の自分が抱えていた人生に対するマイナスの感情を少しずつでも埋めたいと思っているからなんじゃないかなと思うわけです。


なぜそう思うのか?なぜそう感じるのか?
映画を観てこの作品が自分に残した爪痕のようなものについてずっと考えていたのですが、この作品の原題が「復讐」であると知った時に腑に落ちたような気がしました。


本作ではこのタイトルにあるとおりいくつかの復讐が描かれています。
いじめられた復讐。理不尽な暴力にさらされたことへの復讐。一方的な暴力で大事な人を奪われたことへの復讐。


復讐というのは、辛い目にあわされた人がその原因を作った相手にするものですが、わたしは子どもの頃にため込んだしまった負の感情が自分の中に復讐の種として残ったままになることが怖かったんじゃないかなと思うのです。そもそも誰かに対して吐き出すようなものではないのですが、だからこそはけ口のなかった辛さが実はいまでもくすぶっているんじゃないかと不安を感じていっしょうけんめいに現状を肯定しようとしちゃってるんじゃないかと思うわけです。


感想としてはうまくまとまらないのですが、ものの見事にわたしの中に鋭い傷跡を残してくれた作品でした。


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