「デビルズ・ダブル -ある影武者の物語-」見たよ


サダム・フセインの長男ウダイ・フセインに顔が似ているという理由で、家族の命と引き換えに彼の影武者となった男がいた。彼の名はラティフ・ヤヒア(ドミニク・クーパー)。莫大な資産を手にし、思うがままに権力を握ったウダイの傍で、生死の自由さえ選べなかった男の見たものとは…。ラティフ・ヤヒア本人の手記を基に、『007/ダイ・アナザー・デイ』のリー・タマホリ監督が映画化。

『デビルズ・ダブル―ある影武者の物語―』作品情報 | cinemacafe.net

フォーラム那須塩原で観てきました。

フセイン大統領の長男ウダイの影武者だったラティフの手記を映画化したという本作は、内側からみたイラクの実情を描いた作品でしたが、よくもわるくも本作でつよく印象付けられるのはウダイという人間の異常性でした。


この描写と史実との整合性については寡聞にして知りませんが、この作品を観た人の多くはウダイに対して強烈な嫌悪や忌避的な感情を抱いたと思います。
例を挙げるのも不愉快なのですが、たとえば道を歩いている少女を無理やり連れ去って乱暴したのちに殺してしまって道端に捨てさせたり、結婚式で喜びの絶頂にいる花嫁を連れ去ってレイプするといった一連の行為は観ていて心底つらかったです。自分の意にわずかでも反する人には徹底した暴力を浴びせて屈服させ、それでも屈しなければその命を奪ってしまうというウダイの幼児性と残虐性には怒りを通り越して恐怖しか芽生えてきませんでした。

恐怖で人々を支配するというウダイの人物像は明確に伝わってきましたし、こんな奴が国のトップだったのであればフセイン政権は潰されてよかったんだなという思いを新たにしました。もちろんいくらイラク人の手記の映画化とは言え、これを撮ったのイラクの人たちではないということを念頭においたうえで観なきゃいけないとは思うんですけどね。


そしてウダイの異常性がくっきりと浮き彫りになればなるほど、彼の影武者であるラティフの普通さが際立っていく対照的な両者の対比は見事でしたし、影武者として真似を繰り返すことでどんどん見た目はウダイに似ていくのに価値観や考え方といった根っこの部分は最初から最後まで変わらないところがおもしろいなと感じました。


あと観ていてひっかかったのは一点だけ。

それは登場人物がほぼイラクの人たちなのに会話がすべて英語であるという点です。
もちろんそんなことを本気で気にしだしたら、宇宙人でさえ当たり前のように英語を話すハリウッド映画の大半は観てられなくなるし、さすがにわたしもそこまで狭量ではないのですが、この作品に関していえば言葉の違いが違和感を残す結果となりました。


とは言いつつも、概ね作品はすごくおもしろかったし、イラクの実情についてわたしが想像する範囲でのリアリティを確保していたように感じました。一人二役というのは映像的に微妙な感じになってしまいそうな気がしたのですが、特に違和感なく観られたのもとてもよかったです。



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