「八日目の蝉」見たよ


不倫相手の赤ん坊を誘拐した希和子(永作博美)。警察から逃亡する生活を続けながらも子供に愛情を注ぐが、4年の逃亡の末に逮捕される。そして希和子に育てられた娘の恵理菜(井上真央)は、本当の家庭に戻るが彼女には居場所がなかった。そして大人になった彼女は皮肉にも不倫相手の子供を身籠ってしまう――。原作は第2回中央公論文芸賞を受賞した女流作家・角田光代の同名小説。

『八日目の蟬』作品情報 | cinemacafe.net

TOHOシネマズ宇都宮にて。


上映時間が150分弱と長尺でしたが、観ている間中わたしの心を揺さぶり続けたすばらしい作品でした。
ただ、簡単にまとめてしまうと「父親の浮気相手に誘拐されて育てられた娘のお話」というまったく共感も感動もしなそうなこの物語のどこにこれほど惹きつけられているのかわからず、観ている最中はずっとその理由を探しながら観ていました。観終えた今もまだ明確な好きな理由は見つかっていませんし「嫌いになるのは理由があるけど、好きになるのは理由がいらない」というわたしの持論どおり、正直単なる嗜好のツボに入っただけというのもありえると思っています。


ですが、ひとつだけ理由として思いついたのは「希和子に対する共感」でした。


物語の発端が希和子が不倫相手の娘である薫を誘拐するところから始まったために、希和子と薫の間に親子のきずなというものは当然まったくありませんでした。自らのお腹に宿った命を守りきれなかった埋め合わせをしたかったのか、それとも手にすることの出来なかった無垢なまなざしを目の当たりにしたことで生じた衝動からなのかは分かりませんが、希和子は薫を誘拐し、そこから二人は親子としての生活を始めたのです。


もちろん、母親になる準備などまったくしていなかった希和子はさまざまな局面で困ることになります。
ミルクをあげても泣き止まない薫への対応に苦慮したり、どのように育てていけばいいのか分からなくて本を買い込んだりとあたふたする様子にわたしはとてもつよい共感をおぼえたのです。


「心の準備ができないうちに親になってしまう」


この状況は男性が親になる際に直面することになる状況ととても似ており、この点こそがこの作品に対するわたしの態度を決定づけていたように感じるのです。


最近は育児にとても協力的な男性が増えているそうなので世のすべての父親がそうだとは言いませんが、母親とちがって自分自身の肉体に子どもを宿すわけではない父親は、実際に子どもが生まれるまでは親になるという実感をもちにくいのではないかと思っています。実際に他のどれくらいの方が賛同してくれるのかは分かりませんが、少なくともわたしはそうでした。
もちろん頭ではちゃんとわかっていたつもりだったのですが、実際に生まれた子どもを見た瞬間に感じた「あー、おれもついに親になっちゃったんだな....」と大きな衝撃を受けたという記憶から推測する限りは、やはり何もわかっていなかったんだろうなと思います*1
そういった点で考えると、女性がお腹の中で10か月以上もかけて子どもを育てるというのは親になるという実感・覚悟を育てるという観点で考えればとても大事なことなのかも知れないなと思います。


結局、わたしは親としての自覚や覚悟を日常で子どもと接する中で育まれました。
この経験から「母親は妊娠することで親となり、父親は育児をとおして親となる」と考えるようになったのですが、今回の希和子はまさに父親的なアプローチで親になっていきます。もちろん自身の妊娠・堕胎という経験があったからこそ起こった出来事だというのは分かりますが、実際に希和子を薫の親としてくれたのは薫とふれあいながら一緒に生きてきた日常そのものだったのです。
不器用だけれど、でも確実に親子の絆を作り上げていく二人の姿がとても暖かく、そこに共感をおぼえてしまったんですね..。
いろいろと好きなシーンはありますが、希和子が見つかるきっかけとなってしまった写真のシーンや写真館で写真を撮るシーン、波止場での別れのシーンはもう思い出すだけでグッときます。


誘拐なんて絶対に許されることではないけれど、でも希和子が薫を想う気持ちは間違いなく親としてのそれだったために、許せない行為なのに惹きつけられてしまうという不思議な感想になってしまうのです。


とまあ、いろいろと好きな理由を考えてはみたのですが、こういった部分的なことばかりではなくひとつの作品としての出来がすばらしくよかったなと。細かいことを考えず楽しみたいので、GW中にもう一度観に行きたい!!


公式サイトはこちら

*1:その後しばらくは親になったという現実を受け入れきれないまま過ごし、結果として育児に対して及び腰のまま1年近くを過ごしてしまったのですが、それについてはまた別の機会に書こうと思います。