「みなさん、さようなら」見たよ


渡会悟(濱田岳)は、1980年代に団地で生まれる。ごく普通に育った悟だったが、小学校の卒業と共に「団地から一歩も出ずに生きていく」と決意する。中学校には通わず、団地内のパトロール日課に、毎日自分が作ったスケジュール通りに日々を過ごし成長していく。小学校の同級生たちの帰宅を出迎え、団地内のケーキ屋に就職し、同級生と婚約もし、精いっぱい青春を謳歌していく。やがて時代は移り、多くの人が団地を出ていくように、同級生の人数はどんどんと減っていく。そんなある日、悟は命がけの戦いに挑むことに…。

『みなさん、さようなら (2013)』作品情報 | cinemacafe.net


フォーラム那須塩原で観てきました。


濱田岳が出演する中村義洋監督の作品と聞けば、内容はくわしく知らずとも観たくなるくらい大好きな組み合わせです。
アヒルと鴨のコインロッカー」「フィッシュストーリー」「ゴールデンスランバー」「ポテチ」と、すぐに思い出せる作品だけを挙げてみても傑作ぞろいです。ちなみに「アヒルと鴨のコインロッカー」はMOVIX仙台でマコ*1といっしょに舞台挨拶付きの回を観ました(自慢)。当時は関めぐみさんのことが大好きで彼女を見られたことばかりが記憶に残っていますが、そのとき初めてみた濱田君のおどおどとしたキャラもとても印象に残っています。

まさか彼のことがこんなに気になるようになるとは思ってませんでした。


さて。

そんなわけで期待値MAXで観に行ってきましたが、これがもうすばらしい傑作でした。2013年公開作品の邦画ベスト10をつくったら間違いなくその中には入ることはまちがいないと断言できるくらいおもしろかったです。


まず本作はストーリーが圧倒的におもしろいし、その見せ方も非常に巧妙です。

始まって早々、中学校にも行かず団地から出ることなく生きていくことに決めたという悟の発言にびっくりさせられるのですが、その発言の意図は示されることなくそこからは悟が過ごす日常が淡々と描かれていきます。学校に行かず、でも朝はちゃんと決まった時間に起きてご飯を食べ、後片付けをしたら本を読んで体を鍛える。学校には行かないものの、だからといって毎日をダラダラと過ごすのではなく自分でやることを決めてきちんとそのとおりに行動している彼の様子は、わたしには非常に不思議なものにうつります。

そもそも彼がなぜ団地から出たがらないのかという理由がなかなか明かされず、それがまるでのどに刺さった魚の骨のようにいつまでもモヤモヤとした気分にさせられし、その気になる気持ちがこの作品への興味の引力としてはたらいていたように感じました。


変わらない毎日を繰り返す悟とは対照的に、同級生たちは中学から高校へ、高校から大学・就職をきっかけに次々と団地から出て行きます。

そんなふうに変わらないようで変わり始めたある日、唐突に悟がなぜ団地を出られなくなったのか、なぜ悟が毎日あのような行動を繰り返すのかがあきらかにされるのですが、これがまた衝撃的な内容でおどろかされますし、その突然さや提示の仕方もすごい絶妙で感心してしまいます。それまでわからなかったことが明示されるわけですからそれはすごく爽快なんですが、一方ではそれまで意味があるのか分からなかったものに意味があることがはっきりしたわけで大きく局面が変わるところでもあります。その転換期を何の前触れもなく突きつけてきたその演出の巧みさには感動すらおぼえました。


さらに物語の最後の方で、悟が団地から一歩も出ずに長年続けていた努力が見事に結実するにいたるシーンがあるのですが、そのあまりに熱すぎる展開に胸が高鳴るなんていう生易しい表現では表せないほどに興奮しました。生まれてこの方、あんなにもワクワクしたシーンを観たことがなかったんじゃないかというくらいおもしろかったです。


そんなわけで単純にストーリーを追うだけでも本作は相当おもしろかったのですが、わたしはこの作品を観ながら昨年観た「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」のことを思い出しました。

ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」は9.11で父親を失った少年が、父親が残した鍵が開けてくれる場所を探し回るというお話なんですが、母親のサンドラブロックは、奇行と言われても反論できないような異様な行動を繰り返すわが子の行動を非難したり阻害したりせず、とにかくやりたいようにやらせて自分は陰から暖かく見守るのです。


自分がもし彼女の立場だったとして、果たして同じことが出来ただろうか?と考えてみるとおそらく出来なかっただろうと思います。
わたしは子どもたちに自分の考える道理を言い聞かせて子どもの気持ちを変えようとするでしょうし、子どもたちは親であるわたしからなにかつよく言われたら渋々ながらに行動を変えるでしょう。


でも子どもは親から何かを言われて行動を買えたくらいで本質的な部分まで変われるのか?というと、それは絶対に変わらないと思います。
人間は他人から起こされたアクションでは決して変われません。自分が心から納得しないと変わらないことをわたしは知っています。もちろん子どもが納得しなくとも視野のまだ狭い子どもが目先の選択で失敗しないようにアドバイスするのは親としての責任であるとは思いますが、一方では本質的な部分が変えられないのであれば結局アドバイスになっていないし意味がないのではないかという気もします。


そう考えると、本来親が子どもに対してできる一番大事なことというのは、何かを教えることではなくて本人が納得できるまでやらせてみてそれを見守ることなんだろうなと思うのです*2


わたしはそんなふうに思っていたので、いままではあるべき親の姿と言われたら「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」のサンドラ・ブロックのことをいつも思い出していたのですが、これからは「みなさん、さようなら」の大塚寧々さんのことを思い出してしまうだろうと思えるほどこの作品における彼女の演技はそれはすばらしいものでした。


教え、諭すだけでなく、とにかく信じて見守る。


むずかしい...。


(関連リンク)


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*1:

*2:ただ、繰り返しになりますがそれを自分ができるかというと本当にむずかしいです