心の栄養

あまり客観的に自分のことをみるのは得意ではありませんが、どうひいき目に見てもわたしは打たれ弱くて落ち込みやすい人間に分類されます。
誰かと言い合いをしては落ち込み、言い負かせば言い負かしたで大人げなかったと落ち込むし、言い負かされれば悔しさに下唇をかみしめながら目に涙を浮かべて明日は絶対に泣かせてやるとリベンジに燃えてしまうのです。
もうね。人間として小さすぎる。


そんなわけで精神年齢が実年齢の3割くらいのわたしですが、ここ数ヶ月、普段とはちょっと違う人たちと一緒に仕事をすることになり、毎日新しいことばかりの中で日常を過ごすことになりました。その人たちは基本的にいい人が多く、口も利きたくないみたいな嫌な人はいないのですが、ただ、やはりそこは価値観や仕事への姿勢の違いというのはどうしても生じてしまうわけで、そういったひとつひとつの摩擦に毎日ストレスを感じて過ごすようになってしまいました。


そんなストレスの中を泳ぐような毎日を過ごしていた影響と、あまりに考えなければならない事・作らなければならないものが多過ぎたことで毎日心を削って生きているようなそんな気分になってしまいました。自分の抱えているものの重さにまいってしまっていました。
もう毎日毎日どんな時も仕事のことばかりを考えながら過ごしていました。仕事で抱えている問題を思い出してはため息をつき、ため息をついては思い出し、挙句の果てには夢の中でも仕事の話が出てくる始末。
夢の中でプログラムを作ってデバッグをしたのは生まれて初めてでしたが、そんなふうに寝ていても寝れないみたいなそんな3ヶ月間でした。


そんなしんどい時期を振り返って思うのは、家族や趣味である映画などいろんなものに支えてもらってたなということですが、その中でも柴田淳さんの「月夜の雨」というアルバムはすごくわたしにとって大きな存在でした。


月夜の雨

月夜の雨


元々、わたしは柴田さんの歌声や楽曲がとても大好きなのですが、落ち込んでふさぎ込んでいる時に聴く柴田さんの歌声は、わたしのひび割れて荒みきった心にジワジワとしみてくるように効いてきて、穏やかな気分にしてくれました。
このアルバムはどの楽曲も甲乙つけがたいくらい好きなのですが、その中でも特に「私の物語」は素晴らしくて、この2ヶ月でリピートした回数はiPodだけでも1200回。普段はどんなに好きな楽曲でも歌詞まで覚えるものはほとんどないのですが、この曲だったら半分寝ながらでも余裕で歌えるくらい歌詞も覚えきってしまいました。


大げさかも知れませんが、もしこの曲を聴いていなかったら、わたしはこの3ヶ月間のどこかで心がポキリと折れていたんじゃないかと言うくらいこの曲に支えられていたと思います。気が滅入った時には気持ちを前向きにしてくれるし、元気がある時にはもっと元気にしてくれる。


枯れそうになった心に栄養を与えてくれたこの曲をわたしはずっと大事にしていきたいです。