「孤高のメス」見たよ


地方都市にある市民病院に赴任してきた外科医の当麻(堤真一)。そこは、大学病院に依存しなくては運営できない悪しき体制の病院だった。そんな状況の中でも、当麻は自分の信念を曲げずに目の前にいる患者を救うことに全身全霊を注いでいく。ある日、市長(柄本明)が病に倒れてしまう。彼を救う手立てはただひとつ、法律ではまだ認められていない脳死肝移植手術しかない。当麻の決断は…? 現代の医療制度におけるタブーに深く切り込んだ、現職医師の大鐘稔彦によるベストセラー小説を映画化。

『孤高のメス』作品情報 | cinemacafe.net

宇都宮ヒカリ座にて。


とても地味でいい話っぽい演出が鼻につく作品でしたが、個人的には「おっ!」と感じる展開もあったのでとても楽しく鑑賞できました。


本作でもっともよかったのは、当麻先生が病院にきたことで周囲の医師や看護士の意識が変わっていく様子です。それまでは対応したことがない難しい事例はすべて大学病院に丸投げしたり、その大学病院から出向してきている先生たちの機嫌を損ねないように顔色をうかがいながら仕事をしていた市民病院のスタッフの面々が、医療従事者としての自信やプライドをもっていくプロセスはとてもぐっときました。


やる気のない人の集まりは総じて物事のレベルが低いというのはありふれた話ですが、その理由は大した能力のない人ほど「自分に出来ることなんて限られているんだ」と自分の中で区切りをつけてしまうからです。勝手に限界を設けた上で「ここまでは何とか出来そうだけど、でもここからは出来ない」といっては今出来ることの枠内から踏み出すことなく、ずっと同じ場所で同じことをしているだけです。
わたしも「なるべく失敗したくない」とか「やったことがないから怖い」という理由を持ち出して自分の出来ることに限界を作り、その中に収まることで安心を得ようとすることが多いのでそういった心境はすごくよく分かりますが、でもそれっておかしいよね?とも思うのです。


例えば、何かをやる/やらないという決断をしないといけない状況にあるときにそれを決める最大の要因が「自分に出来るかどうか」であることが正しいことかと言えば絶対にそうではありません。「それをやりたいかどうか」もしくは「それをやらないといけないと思うかどうか」が大事な決定要素だとわたしは思うのです。
もちろん医療においては簡単にそうは言えないことも承知しています。
熱意ばかりで実力の伴わないことほど怖いものはありませんし、それが人命に関わることであればなおさら、気持ちばかりが先行して実際には何も出来ない人に積極的に関わられることは迷惑以外の何モノでもないというのもそのとおりです。行動力のあるバカが一番性質が悪いってよくいいますもんね。


でも、それでもやろうという意思がなければ何も変わらない。
やる気も実力もない人たちを変えるために必要なのは、そういった前向きな意思を植えつけながら、かつ、正しい知識と実力を身につけるためのよい見本を示せる人であるということを本作は述べており、その成功プロセスがとても丁寧に描かれていてそれを観ながら気分が高揚するのを抑え切れませんでした。こういう人がいい方向に変わっていく様子って見ていて楽しいです*1


これ以外だと地方の医療設備や対応(主に救急のお話)の問題もちょっと出てましたが、そのあたりは観ている人に対して問題意識を煽り過ぎだなーという印象を受けました。そもそも、わたしはこういった医療を題材にした映画で過剰に「理想的な医師や医療体制」を描くことはあまり好ましくないと思っているのですが*2、そういったわたしの思想の傾向を差し引いても当麻先生をいい先生として描き過ぎじゃないかなと感じました。そのあたりは原作に忠実に描いているんでしょうからしょうがないとは思うんですけどね...。


「きれいごとばかりだし、全体的に地味な作品」と揶揄できなくもありませんが、決してそうは言いたくない、どこか大事にしたいと感じる作品でした。


公式サイトはこちら

*1:実際には、やる気のある人が最後はやる気のない人たちに飲み込まれることもあるわけですから、これを真似てもうまくいくかどうかは難しいとこなんですけどね

*2:こういうのを真に受けて「医療従事者」はこうあるべき!みたいなことを言い出す人がいそうじゃないですか。携わっている人たちがこういった心構えを持つことは立派なことだと思いますが、サービスを受ける側が要求することではありませんしそうした途端にはしたないものに見えてきます