「イン・ザ・プール」読んだよ

イン・ザ・プール (文春文庫)

イン・ザ・プール (文春文庫)

「いらっしゃーい」。伊良部総合病院地下にある神経科を訪ねた患者たちは、甲高い声に迎えられる。色白で太ったその精神科医の名は伊良部一郎。そしてそこで待ち受ける前代未聞の体験。プール依存症、陰茎強直症、妄想癖…訪れる人々も変だが、治療する医者のほうがもっと変。こいつは利口か、馬鹿か?名医か、ヤブ医者か。

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気安く使ってしまいがちですが、「普通」という言葉がとても嫌いです。


「普通のこと」や「普通の人」、「普通の考え」「普通の人生」


何気なく「普通」と言われると何となくわかったような気分になりますが、実際のところ普通ってのが一番よくわからないんですよね。集団の中で1σくらいに入っていれば普通なのか、それとも何か明確な基準で決まるものなのか全然分からないんです。「普通」という表現はそんな不安定な言葉ですが、それでもついつい「普通」という言葉を使って考えを伝えようとしてしまうのは、それがものすごく楽だからなんですよね。


例えば自分の考えを相手に伝えようとしたときにはさまざまな言葉を使って表現しなければなりませんが、「普通」という言葉は、時にそういった一切の言葉による説明を抜きに相手に伝わる魔法の単語なんです。実際には伝わったというよりも、お互いわかった気になるだけなんですが、でも思ったことがなかなか伝わらないもどかしさに日々悩んでいるわたしにとっては表面上だけでも分かり合えたように感じられる効用はすごく魅力的に感じられるんですよね。


さて。話がずれてしまいましたが、本作は「普通」ではなくなってしまったと自覚した人たちがもっと普通ではない人を見て自分を取り戻すというとてもユニークな作品です。
さまざまな症状を抱えて精神科の扉をたたいた人たちが伊良部というとてもまともとは思えない行動を連発する医師に出会い、変わっていく様子は読んでいるだけでとても爽快な気分になります。「こんなことをして平気な医師がいるのに自分はこんなことで悩んで...」と思う人がいれば、伊良部をバカにしていたのに気付けば信頼してしまった人もいて、最終的にはみな伊良部の行動に感化される形で状況が改善していくのです。


人間は誰でも心のどこかに何かしら不安をもっているし何かのきっかけでそれがとてつもなく大きくなって心を占拠してしまうことは決して珍しくないことだと思います。本作に患者として出てくる人たちはいずれもそのような不安の大きさにつぶされた人ばかりでなのですが、その不安のひとつひとつをつぶしていくのではなく、「そんなこと、全然不安に感じなくていいんだよ」ということを行動で示せる伊良部は本当に魅力的なキャラクターだと感じたのです。
とは言え、伊良部みたいな鬱陶しい人が日常的にそばにいて欲しいとは思いませんし、自分がそうなりたいとも思わないのですが、でも誰かが日常の不安に押しつぶされそうになったときに伊良部のように振る舞いたいとはとてもつよく感じました。


とてもおもしろかったので続く2冊も読んでみる予定です。