幸福な食卓

幸福な食卓 (講談社文庫)

幸福な食卓 (講談社文庫)

佐和子の家族はちょっとヘン。父を辞めると宣言した父、家出中なのに料理を届けに来る母、元天才児の兄。そして佐和子には、心の中で次第にその存在が大きくなるボーイフレンド大浦君がいて…。それぞれ切なさを抱えながら、つながり合い再生していく家族の姿を温かく描く。吉川英治文学新人賞受賞作。

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映画は既に鑑賞済みですのでいまさら読むまでもないと思っていたのですが、シンプルだけど妙に惹かれる表紙を見ていたらどうしても読みたくなって手に取りました。映画を観たのは2年前だったのですっかり忘れているだろうと思って読んだのですが、読んでいるうちに各シーンが自然と映像としてよみがえってくるのが感じられてものすごく懐かしく感じました。


著者である瀬尾さんは家族の形というものをよく描きますが、それを読むたびにわたしは家族と言うのが何なのか悩んでしまいます。
血縁者が集まっているだけで家族なのかと言えばそれは違う気がするし、その逆に血縁者同士ではない集団であっても家族と呼べる人たちというのはいるような気がします。
本作で示されていたのは、「それぞれがそれぞれの役割を果たしていること」がその集団が家族である条件であるということです。
父親は父親の役割を、母親は母親の、そして子どもは子どもの役割を果たしているということ。それがその集団が家族であるための唯一の大事なことであり、わたしはこのことについて自分の立場に置き換えて考えてみたのですが、なるほど非常に納得出来ることだと素直に受け止められたのです。
もちろん家族を構成するメンバーの形態は無限にありますから、じゃあ両親や子どもがいないからそれは家族ではないと言うわけではないと考えます。当然それぞれを構成するメンバーの増減によって最適な家族の形というものがありますし、メンバー各人に割り当てられたそれぞれの役割を果たすこと大事なのです。
改めて考えてみると、社会を構成する最小の集団単位として家族があり、それぞれが役割を果たして共に助け合って生きていくわけですから本来家族ってそうあるべきなんですよね。形とかそういうことばかりにこだわり過ぎていたのかも知れません。
その視点で考えるとわたしはちょっと家族に甘え過ぎな気がします...。


家族とは?という重いテーマを佐和子の成長をとおしてさらりと描いてしまう著者のうまさにはいつもながら感動させられます。
おおまかなストーリーを知っているのに強烈に惹きつけられるすばらしい作品でした。ちょっと時間をおいてまた読もうと思います。


ちなみに映画の方の感想もついでに書きますが、こちらもすごくいい作品でした。
当時は原作未読で鑑賞したのですが、原作のエッセンスがものすごく濃厚に抽出されたすばらしい作品だったのだなといまさらながらに思い知らされました。
さらに映画のラストは佐和子(北乃)がとことこ歩いているバックにミスチルのくるみが流れてエンドロール(たぶん)となったと記憶していますが、このシーンの良さはあまりに強力。
わたしの周囲ではこの作品を観た人自体が意外に少なくて「もったいないなぁ...」と常日頃から感じていました。とても良作なのでもっと多くの人に観て欲しいです、とせっかくの機会なのでここで紹介しておきます。


[追記]
映画を観た時の感想はこちらです。
ちょっと前に書いた文章を読んでも何とも思わないのですが、2年以上前に書いたこの文章を読み返したら訳もなく赤面してしまいました。何だか自分が書いたものとは思えませんでした。別人28号。