特別な人なんてどこにもいない

先日の「少年メリケンサック」初日舞台挨拶チケット落選事件から早一週間が経とうとしていますが、そんな矢先に宮崎あおいに関するニュースが飛び込んできました。

あれから1年8か月。12日発売の女性週間誌「女性セブン」によると、高岡蒼甫がモデルの金原あすか(19)の家で一夜を過ごしたと報道、さらに二人が手をつないで家に入る写真を掲載した。

http://jp.ibtimes.com/article/biznews/090212/29092.html

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あんなにかわいい人と結婚しているのにあんなのと浮気するなんて...。家に帰ったら宮崎あおいがいるなんて想像しただけで卒倒しそうなほど贅沢だし、なんでまっすぐ家に帰らないのかさっぱり理解出来ません。俺だったら仕事が終わったら2秒で帰るし、むしろ仕事を早く終わらせてでも早く帰るね、なんて思いながらこれらの記事を読んでいました。
そんなわけで彼の行動には全くもって同意は出来ませんが、でもこうなってしまうこと自体は理解出来るしむしろ面白いなと思ってしまいました。


最近はまとまった時間が取れなくなったのであまりやらなくなったのですが、10代の頃のわたしはゲームが好きで中でもRPGがものすごく大好きで暇があればゲームを買い込んでは毎晩寝る間を惜しんで冒険へと旅立っていました。
RPGをやったことがある人はご存知だと思いますが、RPGは基本的に「レベル」や「武器」を強化してストーリーを進めていくのですが、これらは強固にしておけばおくほど次に進むのが楽になります。そのため、わたしはまずは自分の扱うキャラクターを強くするために好き好んで戦いの場へと身を投じていたのです。
これから先の冒険を楽にするのだという前向きな目的、そしてレベルはいくつ上げるとかお金はいくらためるという具体的な数値を目指して行う作業はとても楽しかったし、実際にそこでやったことは必ず後々の展開を楽にしてくれたという実感も感じられました。
あとは強くなって今までなかなか勝てなかった雑魚を蹂躙して、いわゆる「おれつええ」ってのも出来るのでそれもすごく楽しかったです。そんなわけでいわゆる「レベル上げ」という作業はとても大好きでした。自分が頑張れば頑張った分だけ報われるというのがよかったのかも知れません。


ところがわたしが中学生になったある日「ロマンシングサガ」というゲームが発売されたのですが、これはレベル上げという概念を破壊したRPGでして私は非常に大きなショックを受けました。このゲームでは敵と戦った回数に応じて敵が強くなっていくために、弱い敵とばかり戦っているといずれ自分の首を絞めてしまいます。そしていかに効率的に自分が強くなったとしても周りの敵も強いままなので強くなった実感を味わっている暇もなく、いつも全力で戦わないといけないということが大きなポイントになっています。


強くすることで安定した旅を満喫できるRPGと、常に全力を尽くさないと先に進めないRPG
前述のとおりわたしは前者のRPGが好きなので人生もそのようなことばかりであって欲しいと思うのですが、でも現実には後者のパターンのようにいつだって本気を出さないと先に進めないことばかりです。仕事だってやればやるだけ難しいことが増えるし、同じことばかりやっていては何も得るものはありません。そして恋愛もそのとおりで昔もっとかわいい彼女と付き合ってたことがあるから今付き合っているそうでもない彼女は楽勝とかそういうことは決してなくて、いつだって目の前にいる相手に対して全力を尽くさないことにはその末路がどうなるのかは見えてしまっているのです。

やはり恋愛においては、自尊心やプライドを賭け金にしなければゲームが開始しないのだと、彼女の告白を読みながらつくづくおもった。それはどんなに美人でも、どれだけお金持ちでも同じことだ。ポケットの中のプライドをいさぎよくテーブルの上に置いて、ことによってはそれがすっかり持っていかれる覚悟をしたところで、ようやくカードが配られる。ゲームの成り行きしだいでは、それが奥菜恵であっても、プライドも自尊心もずたずたにされる。ひょっとしたら、ものすごく傷つけられるかも知れないけれど、それでもあえて自分のいちばん弱い部分を相手にさらけだすところに、恋愛のおもしろさがあるとわたしはおもう。

2008-04-22 - 空中キャンプ

まったくそのとおりだと思います。空中キャンプさんが書く文章はいつも的確で的を射ていて大好きです。
例えば、ギャンブルは自身の持つお金を失うかも知れないというリスクを払うからこそ本気で楽しめるのです。他人のお金でギャンブルしたところで楽しいわけがありません。そして、私の大好きなマンガである「嘘喰い」の一巻には「生きていることが勝利ならば、人生とはギャンブルである」という夜行立会人の言葉がありましてそれを肯定的にとらえると、生きる上で経験するすべてのことはギャンブルであり、その時には必ず何かしらのリスクを払わなければいけないというのもまた真実であるようにも思えます。


だいぶ話が発散してきたので話を戻しますが、ドラクエで言うと「町の人A」のようなその他大勢に分類されるわたしから見たら「ゾーマを倒したレベル99の勇者」のように遠い存在である宮崎あおいのような人であっても時に浮気をされるという言わば負け戦になることもあるというのは率直に言って信じがたいことです。
でもどんな人であっても自分以外の誰かを好きになった時には常に自分のもつ全てをかけてその人との関係を作り上げ、そしてその維持に挑まなければならないですし、それでもそれが勝ち戦になるという保証はどこにもないということがこの事から理解出来ます。


誰だっておんなじ。自分が本当に欲しいものを得るためには相応に大事なものを捨てたり賭けたりしなければならないし、その点においては特別な人はいないのだということを改めて思い知らされた出来事でした。