ひとを“嫌う”ということ

ひとを“嫌う”ということ (角川文庫)

ひとを“嫌う”ということ (角川文庫)

ひとから嫌われたくない私。すべてのひとを好きになれない私。

あなたに嫌いな人がいて、またあなたを嫌っている人がいることは自然なこと。こういう夥しい「嫌い」を受け止めさらに味付けとして、豊かな人生を送るための処方を明らかにした画期的な1冊。

http://www.amazon.jp/dp/4043496028

好きだと言うことを表明することは許されるのに、なぜ嫌いだということを表明することは許されないのか。
改めて問われるとたしかにそうである明確な理由が思いつかないのですが、でもあえて嫌いを表明することは悪いことだという認識は多くの人が共有出来ているとても不思議な了解です。元々、他人との関わりを好む性格ではない私も、あえて嫌いを相手に対して表明するようなことはめったに出来ませんし、例え嫌いな人であっても出来るだけそれと分からないように自然に接するよう心がけていました。この私の態度からも、嫌いを表明することは悪いことだと認識していたことがうかがえます。


本書によると、好きだという感情が自然発生的に起こるものであるのと同様に、嫌いという感情もまた自然に発生する可能性があるということが書かれており、そしてまた、この「嫌い」という感情は決しては悪いものではないということが書かれています。そして嫌いという感情をもったときにそれを悪しき感情としてふたをしてしまうのではなく、その嫌いの理由を掘り下げてその原因を知ることで人生がより豊かになるとも書かれています。
わたしがとても感銘を受けたのは、普通の感覚であれば目にすることや考えることも嫌な「嫌いという感情」を非常に大事にしていることです。例えば、自分に対して「嫌い」や「無関心」という感情を向けられた時に、誰もがそのことに不快感を覚え、そしてその「嫌い」という感情を向けてきた相手に対して「嫌い」という感情をぶつけ返すことになります。さらにはその様子を見ていた人も不愉快になり、嫌いをぶつけあっている人々に対して嫌いを向けたりするわけです。
つまり、自分だけではなく相手やその周囲に対しても負の感情の連鎖を引き起こすのが「嫌い」という感情なのです。


そんな負の感情に対してふたをしたくなるのはある意味当然といえばそうなのですが、あえてその感情を掘り下げるというのはおもしろいなと。いや、その行為はとても大変だし実際にやってみると不快でしかないわけですが、でもその嫌いを理解することで無駄にその感情を引きずることはなくなるのです。やってみてこれは非常におもしろいと思わずにはいられません。


世の中には自然と好きになれる人も嫌いになってしまう人もいて当然であり、それをむやみに避けるのはもったいないという著者の考えには心から賛同します。