「もしも、私があなただったら」読んだよ

もしも、私があなただったら (光文社文庫)

もしも、私があなただったら (光文社文庫)

6年前に会社を辞め、郷里の博多に戻ってきた藤川啓吾。小さなバーを経営する現在の彼には、どうしようもない孤独と将来への漠たる不安があるだけだった。そんな彼のもとへ、ある日、会社時代の親友の妻・美奈が突然訪ねてくる。ほろ苦い過去を引きずりながら再会した啓吾に、美奈は驚くような相談を持ちかけてきたのだった―大人の男女が互いに愛し合うとは一体どういうことなのか?誰もが悩む恋心と性愛との不可思議な関係を卓抜な言葉で解き明かす傑作の誕生。

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6年前に辞めた会社の同僚の奥さんが訪ねてきて「あなたとの子どもを産みたい」と告げるという、なかなかセンセーショナルな出だしを見せる本作ですが、作品全体としてみれば中年の色恋事情を丁寧に描いた落ち着いた作品でした。では私自身が好きかどうかと問われると、「こういうのが大人の恋だ」という押し付けがましさに鼻白んでしまったというのが率直な気分ですが、「君はどう思うか知らないけれど世界はこんなふうに動いているんだ」という上から目線な内容はわたしは嫌いではありません。
扱っているテーマは違えども、人ひとりの人生を要約されたら消えてしまうようなところまできっちりと描いているところは白石さんらしい内容だと思うし、それをわたしは読みたいんだなとあらためて感じました。


著者らしいと言えば、本書の著者である白石さんの著書にはいつも思慮深くて世界を冷静に見つめることのできる男性がメインキャストとして出てきます。

例えば本作の主人公の藤川はそういう男性なんですが、そういう人物像を物語を通して突きつけられるたびに二つの異なる感情がわきあがってきます。


どういった感情なのかというと、ひとつめの感情は劣等感です。

上でも少し触れたとおり、白石さんの描く男性というのは大変思慮深くて日常のさまざまなことに思いを巡らしていて、自分なりの世界観を確立していてそれに従って生きる道を決めています。日々を生きる中で迷うことはあっても、その時に支えとなる軸のある人間として描かれているのです。
ところが、それに比べるとわたしにはそういった「自分なりの世界観をもつ」ということができていなくて、単にいま見えている世界を受け止めてそれに適応したり従属して生きているだけなんです。

自分なりの世界観や価値観を確固たるものにして生きている人の姿を突きつけられて、自分とのギャップを見せつけられるとものすごく自分がダメな人間のように思えて思いっきり落ち込みます。


そしてもうひとつの感情は不遜さへのいら立ちです。

上では「自分なりに世界を理解できること」をすごいことだと評していてその感情は決して嘘ではないのですが、一方ではこの世界を自分なりの解釈で測ろうなんてのは思い上がった不遜な考え方だとも思っています。
この世のすべてが理屈や道理で片付くと思っているその思い上がった考え方には心底腹が立つし、自分は世の中のことを何でも分かっているといった高慢さは一度叩きなおしてやりたいと思うくらいにイライラします。

他者の考え方や生き方に畏敬の念を持ちつつも、そこに不遜さを見出して怒りをおぼえるというのは自分でもどこか矛盾した感情だと思います。
そして白石さんの本を読むたびにこんな葛藤を抱えながら本を読んでいるのですが、こんな想いをしても著書を読みたいと思うのは、たぶんこの葛藤の中になにか自分が欲しいと思うものがあるからじゃないかなとずっと思っているからなのです。