親と子の「よのなか」科

親と子の[よのなか]科 ちくま新書

親と子の[よのなか]科 ちくま新書

子どもの考える力を養うために、親はどのように接したらよいのか。そんな疑問にひとつの答えと方向性を与えてくれる一冊でした。最近子どもが大きくなってきた私にはとても興味深い内容でとても面白かったです。


私が大学4年生の時。母校である高校で教育実習をしました。科目は物理だったのですが、それは大学での専攻が物理だったというだけです。
教育実習するまでは塾の講師のバイトや家庭教師のバイトなんてしたことがなかったので、知っていることを高校生に教えるなんてかんたんだよ、と正直教えることが難しいことだと思っていませんでした。今思い返してみるとその甘い見通しが恥ずかし過ぎて、当時の自分にかかと落としのひとつでも食らわしたくなります。


そしてそんな私が、自分の甘さを痛感する日がやってきました。
実習が始まり3日が過ぎた日、私の初めての授業があったのです。教科書を一読し、ポイントをまとめ、そして理解して欲しい部分で話したいことを重点的に書いて授業に臨みました。最初の数分は話すことを大体決めていたのでスムーズに進んだのですが、10分を過ぎたあたりから話しにくいなと感じるようになりました。そしてその後いつからか分かりませんが、何を言っても分かってもらえないんじゃないかという気分になり、話したり板書するのがつらくなりました。たった40分の授業がすごく長く感じました。


長かった授業が終わり、私の実習の担当をしていただいた先生と職員室に戻りながら授業はどうだったのか聞いてみましたが、「初めてにしてはよかったですよ」と言われただけでした。実感としていい授業だったとは露ほども感じていなかったので、「もっとこうした方がいい」という意見が聞きたかったのですがその願いは叶いませんでした。非常に優しい先生だったので私のことを気遣ってくれたのかも知れませんし、もしかしたらはっきりと指摘すれば反発されるので面倒だと思ってたのかも知れません。ともかく、現状、もっとも冷静に授業を批評してくれそうな先生からのアドバイスももらえず、さてどうしようと途方にくれてしまいました。


職員室前にある実習生の待機部屋に戻り、授業の何がよくなかったのか改めて考えてみました。構成がよくなかったのか、それとも私の説明が下手なだけなのか、さまざまな仮説を立ててみてはそれはたぶん違うと否定する、その繰り返しでした。今思うと自問しても答えなんて出るはずはないのですが、こんな簡単な事も分からないのと思われそうで他の実習生にも相談出来ず、ただ自問するばかりでした。


その日の放課後。
掃除を手伝いながら、物理を選択している生徒たちになんとなく授業の感想を聞いてみました。今の物理担当をしている先生よりも分かりやすいとか、板書の字が汚いという反応がかえってきたので、じゃ、具体的に授業のどこが分かりやすくてどこが分かりにくかったのかを聞いてみたのです。すると返ってきた答えは「授業の内容は何も覚えていない」です。40分も話し続けて何も覚えていない...。
そしてその答えを聞いた時に、話していたときに感じていた話にくさの原因も分かったような気がしました。その原因とは、誰も興味を持ってきいてくれてはいなかったのではないかということです。話を聞く気をもってもらえなければ何を言っても伝わるわけもありません。


大勢の前で話すというと「その人たちに向かって一方的に話しかける」ことだと思っていましたが、実際にはそうでないことにその時気付きました。結局は一対一のコミュニケーション同様に、話す人と聴衆がちゃんとコミュニケーションが取れている状態でなければ何も伝わらないのです。そこが分からずにただ自分の知識を噛み砕いて話していただけだったことに気付いたのです。


そこまで仮定をふくらませたので、じゃあどうしたら興味を持ってもらえるのかと考えたのですが結局答えは出ませんでした。


結局答えにたどり着かないまま、伝わる授業が出来ないままで2週間にわたる教育実習は終わりました。
もともと高校教師になるつもりはあまりなく、教員免許を取る目的の80%は単なる興味で残り20%は将来職に困った時の保険程度に考えていた私は、最後までうまく出来なかったことを悔やむよりも無事にやり遂げたことに満足しました。


実習が終わったあと、他の実習生みんな(と言っても私を入れて全部で5人ですが)とご飯を食べに行く話があったのですが流れてしまい、*1一番仲が良かった人とご飯を食べに行くことにしました。
彼女は一度短大を出て働いていたそうなのですが、どうしても教職につきたいと大学に再入学をして今回の実習を受けたという、非常に教員志望度の高い人でした。ご飯を食べながらも教育についての話をいろいろと聞かせてくれたので、「自分は授業では生徒に話がうまく伝えられずいい授業が出来なかった、どうしたらよかったんだろうね」という話を振ってみました。
「そんなのも分からないの?」とか言われるかなと思ったのですが、意外にも彼女は面白い話を聞かせててくれました。
# もう8年前のことなので全部は覚えていませんが、大筋ははっきりと覚えているので記憶を元に会話をテキストに起こしてみます

itottoは「You may lead a horse to the water, but you can't make him drink」ということわざを知ってる?
訳せば「馬を水のみ場に連れて行くことは出来るけど飲ませることはできない」となるんだけど、つまり、いくら水を与えても馬自身が水を飲む気にならなければ飲めないんだって事なのね。
これって教育にも当てはまることだと思わない?
いくら先生があれやこれや教えても生徒に興味を持ってもらえなければ無駄になるよね。だからただ教えるという行為だけじゃ足りないと私は思うのね。生徒に興味を持ってもらえるような工夫も必要だし、itottoの授業にはそれが足りなかったんじゃないの?


そのことわざは知らなかったのと、当時の私には想像もつかなかった事だったので、面白いこと言うなあと非常に感心してしまいました。あまりに感心してしまったので8年経った今でも覚えているわけですが、この話のおかげで教えるということの難しさとその理由がもやもやとした程度ですが、分かった気がします。


教える側は単に知識を伝えるだけではなく、考える部品と考える機会を与えた上でその気にさせる工夫が必要です。本書はその「その気にさせる工夫」がぎっしりと詰まっていると感じましたし、実際に実習前や授業のやり方に悩んでいる時にこの本を読んでいたらと残念な気分になりました。


話がだいぶそれてしまいましたが、私も子どもがもう少し大きくなって小学生くらいになったらこんな会話をして子どもの考える力の育成の手助けをしたいと思うようになりました。それまで大事に棚に置いておきたい一冊です。

*1:実はこの実習に来ていたうちの3人は学生ではなくすでに社会人として働いている人たちでした。だから有給を使って研修を受けており、終わればすぐに会社へ戻らないといけなかったのです。終わった日に会社に戻った人もいたらしく、今思うとその教職への熱意に感心せずにはいられません。