「幸せの教室」見たよ


ラリー・クラウン(トム・ハンクス)はいままで勤めていたスーパーを解雇され、再就職先も見つからず、地元の大学に通うことに。初めての授業に胸躍るラリーと同じ教室に向かうのは、教えることへの情熱を失った美人教師・メルセデスジュリア・ロバーツ)。人生への希望を失った2人の出会いがもたらすものとは…。

『幸せの教室』作品情報 | cinemacafe.net

TOHOシネマズ宇都宮で観てきました。


かなり前から公開を楽しみにしていたので公開初日のレイトショーで観に行ってきました。


ざっくりとまとめると「大卒ではないことを理由にリストラされた男性が大学に入って新しい生活を始めることで自らの人生を変えていく」というお話ですが、終始ニヤニヤしっぱなしの多幸感あふれるすてきな内容でした。常に自身の求めるものに向かって進もうとするラリーの前向きさにはすごく好感がもてたし、この作品から感じた「失うことで得られるものもある」というメッセージはとてもタイムリーでなるほどなと思ったのでした。

最初から最後までにやけ顔の止まらない作品でした。


では、この作品が傑作だったのかというと実はそれは違うと思っていて、どちらかというと作品としてはいまいちな作品だったと思うわけです。ここまで褒めておいてなにを言ってるのか?と思われるかも知れませんが、でも作品の出来だけみると全然褒めるべきところがなかったんですよね...。


例えば、作品の中に数多くのエピソードが詰め込まれ過ぎていたために全体としてみるととっちらかっている印象を受けましたし、そのために一番言いたかったことのインパクトが薄れてしまったように感じました。さらにラリーたちがスピーチを話せるようになる成長の要因がまったく表現されておらず、その部分についてはかなり説得力が欠けているとも感じました。

そしてその描写不足のおかげで、結末が導出される必然性というのもまったく伝わってきませんでした。


作品としての出来はいまいちだしいいものではないとしながらも、作品のことを好きか嫌いかで分類してみると「大好き!」というところに分類されるというのはおもしろいなと思います。


ではわたしがこの作品を好きだと思う理由を2点列挙します。

新しいものを得るためには何かを捨てなければならないということが描かれていて好き

どんなものにも限界があるように、人ひとりが抱えることのできるモノの量は限られてます。

だから、今もっているものとは別の、より大事なものが出てきたら、手にしている何かを捨てて新しい大事なモノを取らないといけないわけですが、これって実はなかなか難しいんですよね。基本的に人は安定を望んで変化を好みませんから、結局今持っているものを優先してしまいがちなんです。


では本当にいま手にしているものが大事なのかと言うと、実際には自分が大事だと思って握りしめているものの中にもぜんぜん大事じゃないものだってたくさんあると思うんです。「昔から持っていたから」とか「これがないとダメだから」という思い込みだけで手にしているだけだったりするんですよね。


話を作品に戻すと、作中でラリーは仕事や家を失いテイノーは旦那を失ってしまいます。
どちらも人生を左右しかねない大きなものですが、その大事なものを失ったからこそ、二人は新たな人生を手に入れることが出来たとも言えるわけです。


より大きなものを手にしようと思ったら、いま手にしているものの多くを手放さなければならないことが多いのですが、そのことがとても丁寧に描かれていました。大きなものを失った時だからこそ、手に入れられるものがあるというのはすごくいいなと感じました。

変化の表現がとても繊細ですてきで好き

本作は登場人物それぞれの心境の変化の描写をうまく映像に示しているのですが、その表現方法がとても繊細ですてきです。

特に、冒頭とラストそれぞれでテイノーが車から降りるときに靴を先に外に置いてそれに足を通すというシーンがあってここの対比の仕方がとても印象に残っています。

具体的にどういう対比になっているのかというと、冒頭では「靴を乱雑に置いてそれに合わせて足を通す」ことをして、ラストでは「ちゃんと靴を配置してから足を通す」ということをしていますが、これは周囲に振り回されてそれに対応するのではなく、最初から次を考えて自ら行動できるようになったテイノーの変化をすごく適切にあらわしていると感じました。

他にもミラーなどの小物や登場人物の表情を使い、みなの心境の変化をとても繊細に表現しているところがすごく気に入りました。



というわけで、好きなのかどうなのか分かりにくいかも知れませんが、この作品のことはすごく気に入ってます。
ものすごくLOVE!ですよ。



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