いまから10年くらい前。
長女がまだ2歳になるかならないかくらいだったと思うのですが、いっしょに公園へ遊びに行ったときにどんぐりが落ちているのを見て夢中で拾いだしたことがありました。どんぐりってたしかに拾いたくなる見た目だよなーと思いながら見てたらものの30分ほどで両手で持ちきれないくらい拾い集めてしまいました。
欲張りな長女はすごく大事そうにたくさんのどんぐりを持ちながら、さらに拾い集めてやろうとうろうろとしていたのですが、ある場所でふと立ち止りそこに落ちていた長い枝に目を止めました。その様子を見て「あー、あの枝もほしいんだろうな」と気づいたのですが、でも長女の両手にはたくさんのどんぐりでいっぱいのまま。
どんぐりは大事そうに抱えているしどうするんだろう?と思って見ていたら、手にしてたどんぐりを放り投げてその枝で遊び始めたのです。
あんな大事そうに集めていたどんぐりをあっさり捨てるんかい!とびっくりして吹き出してしまったのですが、でもその潔さがすごくうらやましいなとも感じました。
人が一度にもてるものの数は限られている以上、何か新しいものを手に入れるためにはいま手にしている何かを手放さなければならないのですが、歳を重ねるほどになかなかそれができなくなっていることを実感します。物に執着し、人に執着し、気付けば両手に持ちきれないほどのものを無理やり抱えながら生きています。
映画が好きだからたくさん観たい、マラソンが好きだからたくさん走りたい、読書が好きだからたくさん読みたい、プログラムを書くのが好きだからずっとプログラミングしてたい、ブログを書くのも好きだから毎日書きたい。
1日で使える時間は24時間しかないのに、やりたいことはどんどん増えていくし一度やり始めたことはやめられなくてどんどん時間が足りなくなっていきます。あのとき長女が集めた大事などんぐりを手放したように、わたしも一番やりたいこと以外は全部やめちゃえばいいのになと頭ではわかっているつもりです。
でもそれがなかなか難しいんです...。
先日「僕らのごはんは明日で待ってる」という本を読みました。
- 作者: 瀬尾まいこ
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2016/02/24
- メディア: 文庫
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体育祭の競技“米袋ジャンプ”をきっかけに付き合うことになった葉山と上村。大学に行っても淡々とした関係の二人だが、一つだけ信じられることがあった。それは、互いが互いを必要としていること。でも人生は、いつも思わぬ方向に進んでいき…。読んだあと、必ず笑顔になれる、著者の魅力がぎゅっと詰まった優しい恋の物語。
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あらすじを読むと恋愛中心のお話なのかと思って読んだのですが、読んでいる最中も読後感もそういった浮ついた印象はまったく残りませんでした。「起こった出来事を事実としてただ述べているだけ」と言った感じで、ただただ淡々と起こったことがつづられている文章はまるで誰かの日記を読んでいるような感じでした。
わたしが本書を読んで感じたのは「失ったからこそ得られるものがある」ということであり、思い出したのは冒頭で書いた10年前の長女の行動でした。何かを失うことはつらいことだしその失ったものが大事だと思っていたものであればよけいにそのつらさは想像を絶するほど大きなものですが、でもその大事なものを失ったことでポカンと空いたその場所には新しい何かが入る余地ができるのです。
もちろんだからといって大事なものを手放したほうがいいとかそういうことをいうつもりはないです。
ただ、「なにかを手放すことは新しいなにかが入ってくるスペースが自分の中にできること」でもあるということもあるんだなということを本書を読んで改めて思い出すことができた気がします。