「ポンペイ」見たよ


ローマ人に一族を虐殺されたケルト人騎馬族の生き残り、マイロ(キット・ハリントン)は、奴隷となり無敵のグラディエーター(剣闘士)へと成長していた。ある日、マイロはポンペイの有力者の娘、カッシア(エミリー・ブラウニング)の馬を助け、その瞬間二人は身分の差を超えて激しい恋に落ちる。カッシアはローマからやってきた上院議員コルヴス(キーファー・サザーランド)にポンペイの平和と引き換えに婚姻を迫られていたが、その男はマイロの家族を彼の目の前で殺した男だった。8月24日、ヴェスヴィオ火山がまさに噴火しようとしていた。果たしてマイロは降り注ぐ火山岩をくぐり抜け、熱雲が街を覆い尽くす前に、自由を手にし、愛する人を救いだすことができるのか…。

『ポンペイ』作品情報 | cinemacafe.net


さいきん「これはよくないなー」と思っていることがひとつあります。

それは「映画を真正面から楽しもうとしていない」ことが多いのです。
これは映画に限らず読書についてもそうなんですが、文章や映像をとおして描かれる物語それ自体を楽しむことよりも、観たり読んだりして感じたことに対する自身の心境なり考えの変化を観察すること、そしてそれをブログに書き残すことを重視している節があります。

インプットである映画や本はあくまで自身の内部に変化やゆらぎをもたらすための材料として扱っていて、そのインプット自体を楽しむということをすっかり軽視していることが多かったのです。アウトプット重視というか、映画そのものに対する興味よりも「こんな物語を観てしまったら自分はどういうことを考えるのだろう?」というだけの理由で観る作品を選んだこともあります。

そんなときは、観終わってから振り返ってみると観ているときの関心が作品に対してではなく自分にばかり向けられていたような気がして映画を作ってくれた方々に申し訳ないなと感じて罪悪感をおぼえてしまうこともありました。


おそらく「2時間という短くない時間をかけて映画を観るからには自分の中に何かを残したい」という気持ちが強かったんだと思いますが、そんな考えがいかにバカらしいのかを教えてくれたのが本作「ポンペイ」でした。


物語は少年が目の前で家族全員をローマ人に殺されるシーンから始まります。
たいへん勇敢な民族らしく、家族はみな勇敢に戦うのですが多勢に無勢とはこのことだと言わんばかりの状況に全員惨殺されたあげく、近くの木に吊し上げられてしまいます。殺されたふりをしてその場をしのいだ少年はその前に横たわっている凄惨な状況を目に焼き付けてから生きるためにあてのない旅に出るのですが、旅に出て数分*1で人さらいに見つかりさらわれて奴隷へと身を落とすことになるのです。

そんな劇的過ぎる展開から物語が始まるわけですが、成長した少年がコロッセウムで殺し合うグラディエーターとして大暴れしたり、身分の違いを超えたラブに目覚めたり、いかにも悪そうな強敵と戦ったりと最初から最後まで徹頭徹尾見ている人をワクワクさせてくれるのがこの作品なのです。そして観終えたあとに残るのはとにかくおもしろかったなというすっきりとして感想だけという清々しさ。

つまり作品を観ている最中は映画のこと以外はまったく脳内に浮かんこないし、観終わったらそれ以上は何にも残らないというたいへん気持ちの良い作品でした。

映画は娯楽なんだから、観て何かを得るということに固執せずに観て楽しむだけでもいいんだよなとちょっと反省しちゃいました。


@MOVIX宇都宮で鑑賞


公式サイトはこちら

*1:作品の中の時間ではなく観ているこちら側の時間です