手段が目的に変わるとき

お昼にこんな記事を読みました。

ある一定の年齢以降は、たくさんの距離(1週間に30-40km以上)を速いスピード(時速12km以上)で走ることは、健康を害し、寿命を縮めて、心筋梗塞のリスクを高め、運動不足に陥っている人に起こるのと同じような被害をもたらすようになる。これは、『ブリティッシュメディカルジャーナル』に掲載され、『ウォールストリートジャーナル』で報じられた2つの研究から浮かび上がったことだ。

ランニングは体に良いのか、悪いのか:研究結果|WIRED.jp

週に30〜40kmというとちょうどいまわたしが走っているくらいの距離ですし、時速12km以上という速さも概ね合致します。

となると、もしこの記事が正しいとすればわたしは健康維持のために走っていたのにそれがまったく意味を成しておらず、むしろ健康を害している状態にあると言えます。悲しい...。悲し過ぎる。


ただ、この記事を読んで感じたのはそういった悲しさだけでなく「やっぱりそうなんだ」という感想でした。


何でもそうですが、モノって使い方が激しくなればなるほど摩耗も激しくなるわけで、それって体も同じじゃないかなと思ったんですよね。もちろん人間の体の場合はそう話は単純ではないのでしょうが、丁寧にメンテをしなければ基本的には同じようなもんじゃないかなと。

そしてそれは実感としても分かる気がします。


じゃあ、このペースで走ることが健康にはよくないからもう毎日走るのを止めるか?というとそれはまたまったく話が別で、こんな楽しいことをいまさら止めることなんてできないです。好きだからこそ体に悪影響があろうが続けたいと思うし、むしろ命を削ってやっているんだと思うとより本気で取り組んでやれる気がしています。


体にいいから走りたいではなく、とにかく走りたい。
健康維持の手段であったジョギングが、いつの間にか目的に変わってしまったでござるよ...。


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