ネットの意見すべてに耳を貸す必要なんてない

先日、こんなエントリーが匿名ダイアリーにあがっていました。

生まれて初めてのコミックスが出た。

生まれて初めての©だ!ISBNだ!と喜んだのもつかの間で、

続々とつく「つまらない」というネットレビューに愕然…。

その後も評判が悪く売り上げも悪いようす。

アマゾンレビューの「つまらない」や「期待はずれ」という冷たい言葉の数々に心も折れ

なんだか一生消えない入れ墨を入れられたような気持ち。

けれどこれが俺の実力で、現実だったんだな。

生まれて初めてのコミックスが出た


自身の創作物が、流通を経て世に出るというのはたいへんなことだと思いますし、そのことはもろ手を上げてすごいことだと評していいことだと思うのですが、ご自身の作品がネットで評判が悪かったことを知り、しかも売れ行きもあまりよくなくて落ち込んでしまったというお話です。


さて。

ネットにあふれる批評やら感想を眺めていて思うのは、ポジティブなことよりもネガティブなことの方が目につきやすいということです。それは単純にネガティブな言葉の方が多く存在しているという事かも知れませんし、大きな声が耳に入りやすいように否定的な言葉で綴られた言説が人目を引きやすいということかも知れません。


もちろん本当のところなんて分かりませんが、でもひとつ言えるのはネガティブな意見というのは発信しやすいということです。
これはちょっと考えてみるとすぐ分かるのですが、なにかを褒めることって割とむずかしくて対象を理解しないとできません。


どこがよかったのか、どうよかったのか、どこが好きなのか、何で気に入ったのか。


それを言葉を尽くしてあらわすのはとても面倒なことであってハードルが高いのです。

と、ここまで書いてふと思い出したのですが、以前はてなでどなたかに「好きなモノを好きだと言葉を尽くして感想を書きたいと思うのはもはや普通の人ではなく変態だ」と言われたことがあります。その時はそんなことはないだろうと思ったのですが、変態かどうかはともかく多くの人にとってはあまりやらないことだというのはいまはよくわかります。


話がずれたので戻して、でも逆に貶すことって割と簡単にできることであって、たとえば気に入らないところを断定口調で言い捨てればそれっぽい発言になります。そして書いた方は書くことですっきりして「おれ、ガツンと言ってやった!」的な感じで満足感まで得ることができるのです。


おもしろかった!ということをアウトプットしても満足感を得るのはむずかしいのですが、つまんなかった!ということをアウトプットするとすっきりすることもあるよと。そう考えるだけでもポジティブな感想が出にくく、ネガティブな言葉があふれやすいということは分かるかと思います。


ここまで書いたことをまとめると、わざわざネットで発信しようというモチベーションにつながりやすいのはネガティブな感情から起こることだということです。おもしろいと思ったことはアウトプットされにくいけど、つまらないと思ったことはアウトプットされやすい。ただそれだけのことなのです。


で、けっきょくわたしが言いたいのはネットに転がってる数多の評価なんてどれも大したもんじゃないので気にしなくていいし、それを気にするくらいだったら身近な人のリアルな反応を見てた方がよほどいいと思うよってことです。もちろん商用作家になったのであれば、消費者の反応に無関心でいるわけにもいかないでしょうが、それでもその反応にいちいち落ち込むよりは気にせず無関心でいる方がまだマシだと思っています。

なんて、自分がアウトプットに対する他者からの評価というものはそんな簡単に無視できるようなものではないことは私もよくわかっていますが、ネットという他者の反応が可視化されやすい場においては多少鈍感である方が生きやすいんじゃないかなと思います。


この元エントリーの方はプロになるだけの才能と運にめぐまれていたわけですから、ネットの無責任な発言に腐ることなくがんばってよい作品を描いて欲しいです。


ちなみにこんなエントリーもあがっていて、こちらはちょっと創作っぽいのですがわかりやすかったので引用します。

数年前、生まれて初めてコミックスを出しました。

ネットである程度ファンを獲得していたのでAmazonの評価は☆5ばかり。

…確かに☆5ばかりなんだけど所詮はネットの一部の評価だったようで、その後新しい仕事が舞い込んでくるというわけでもなく…。

あれから一冊もコミックスは出ていません。

それっきりで終わりました。

そんな元漫画家もここにはいます。

生まれて初めて出したコミックスが☆5評価ばかりだったが…


(関連リンク)