年は取るものではなく重ねるもの


テレビを付けてたら「早海さんと呼ばれる日」というドラマが始まったのでつい観てしまいました。
# つい観てしまったという言葉が表すとおり、先週以前から続けて観ていたわけではありません。


これは松下奈緒さんが主演のドラマなのですが、4年前に「未来予想図」という映画で松下さんを観かけた時はたいへんギクシャクした演技をされる方だな...という印象を受けまして、もう少しストレートに申し上げるとひどい演技で観てられんわと思った記憶があります。


ところが「早海さんと呼ばれる日」での松下さんはもうまったく別人と言ってもよいほどでして、表情の作り方やセリフひとつとってもとにかく自然で違和感をおぼえされるところがなく、この4年間の努力と成長を感じずにはいられませんでした。ほんとすごくよかったです。


さて。
松下さんの成長については本論ではありませんのでこのくらいにしておいて、今日の回は要潤さん演じる研二についてのお話でした。研二は派遣社員として大手メーカーで働く30歳男性なのですが、給料を計画的に使う性格ではないために貯金はなく、仕事も同じ場所で長く続けることができない人として描かれていました。さらに思ったことをすぐに口にしてしまうので、周囲とのいさかいも絶えません。


そんな彼の性格をまとめると「自分の感情に素直な人」ということになるのでしょうが、研二の行動や発言は自分の気持ちに素直に従った結果なのでそんなふうに自由に振る舞えるのはうらやましいなと思う一方で、でもそれって単なる自分勝手だし、将来への展望をなにももたずにただ欲求にしたがって行動するなんてバカみたいだなとも思ったのです。


そしてそんなふうに「30歳にもなってこれはきついな...」と思ったときに、ふと「じゃあ自分はどうなんだ?」と考えてしまったのです。果たして自分は年齢相応に成長できてるの?と自身に問うたときに、言いようのない脱力感をおぼえてしまったのです。


わたしは先日34歳になりましたが、正直に申し上げて自分が10代、20代の頃に思い描いていた34歳といまの自分の姿にはとても大きな隔たりがあると感じています。当時想像していた34歳って、どんなシチュエーションでも堂々としていて、ハードな仕事もこなし、さらにいろんなことを知っていて何を聞かれてもちゃんと答えられて、お酒をたくさん飲んでもぜんぜんよっぱらわなくて、大人っぽい趣味(ゴルフとか)をもっているそんな人物像を想像していたんですよね。

でも蓋を開けてみれば、34歳の私は10代、20代の頃とまったく変わらないメンタリティで生活を送っていて、むしろ体力や知力が劣る分、昔よりも何にも出来ないんじゃないかとすら思ってしまうこともあります。もちろんその考えはいまの自分自身を過小評価しているような気もしますが、それにしてももうちょっと成長を感じる部分があってもよいのではないかと思わずにはいられないんですよね。


そしてそんなことを考えた時に、年はただ取るものではなくて重ねていくべきだったんだなと思うに至ったのです。


「年を取る」と言った場合には、自然に過ぎていく時間をただ加算していくことを想像させられますが、「年を重ねる」と言った場合には生きてきた時間を蓄積していくことを想像させられます。

わたしが本来の年齢相応に成長できていないと思う理由はいろいろとあるのでしょうが、一番大きいのは過ごしてきた時間を積み重ねずにやり過ごしてきただけなんじゃないかなと。たしかにわたしは目の前にある課題をこなすことはしてきましたが、結局それってただ積まれた課題をやり過ごしただけであって、自分の中に蓄積される何かにはなっていなかったということなんですよね....。


ドラマの中で、研二は過去に死ぬほど努力してそれでも夢がかなわなかったために頑張ることに意味を見いだせなくなり、その結果ダラダラと適当に生きることを選んだわけですが、それって時間を積み重ねることを否定したってことなんですよね。


積み重ねることを続けられた人と、積み重ねる大変さを捨ててただ漫然とやり過ごすことを選んだ人の差。
それが年齢相応と言われるかどうかの差なんじゃないかなということを、ドラマを観ながら思ったのでした。わたしはもちろん後者なんですが、とりあえず今日からでもいいから少しずつ積み重ねていけたらいいな。


「早海さんと呼ばれる日」はおもしろかったし、山口紗弥加も出てたので来週も観てみようと思います。