「愛、アムール」見たよ


パリの高級アパートで静かに暮らすジョルジュとアンヌは80代の元ピアノ教師の老夫婦。教え子がピアニストで活躍する姿を誇らしげに感じ、お互いを思いやりながら日々を送る2人だったが、妻が病で突然倒れ、穏やかだった日常が少しずつ変わっていく…。

『愛、アムール』作品情報 | cinemacafe.net


フォーラム那須塩原で観てきました。


この映画を観終えてしばらくはこの作品の感想を書く気にならず、しばらく寝かせようと思っていたらあっという間に2か月が経ってしまいました。この作品の感想を書く気にならなかったのは、この映画を観て感じたことを言葉に置き換える前に自分なりに時間をかけて咀嚼しておきたいと思ったからです。ところがいまにして思えばわたしがこの作品の感想を書かなかった*1理由は、単にこの物語を受け止める勇気がもてなかったからではないかと思います。


本作はある老夫婦が自らの人生に訪れた出来事を受け入れて最期を迎えるまでを描いた作品ですが、わたしはこの作品を「自分の未来を観ているつもり」で鑑賞しました。


話はすこし変わりますが「人生は選択の連続」だとよく言われます。
細かいことにこだわればそうとも言い切れない部分はありますが、感覚的にはわたし自身もそのとおりだと思います。

「ご飯は何を食べるか」「夜はどの映画を観るのか」といったちょっとした選択から、「会社を辞めて独立する」「大口の投資をする」「結婚/離婚する」といった大きな決断までわたしたちの日常にはたくさんの選択肢が転がっているように見えます。もちろん現実的には選択の余地なく選びとらなければならないことも多々ありますが、そういったものもふくめ、たくさんの選択を積み重ねることでその人らしい人生が形づくられていきます。

逆に言えば選択するという行為こそが生きている証であるとさえ思っています。


ではそのような選択の連続は人生最期のとき、言い換えれば死ぬまで続くのかというと、きっとそうではないだろうとも思います。


それについては、以前「考える生き方」の感想でも書きましたが(リンク)、歳を重ねて生きていく中でおそらくいつか自分では何も選択できなくなるようなことが起きるだろうということは漠然と覚悟しています。

それが親の介護なのか、リストラなのか、それとももっと理不尽な何かとても怖い出来事なのかはわかりませんが、きっと自分自身が選択するのではなくただ受け止めてそれを抱えながら生きていくしかないことと向き合わなければならないときがきっとくると思っています。そしてそこから先は選択の余地などなくただ受け入れて日々を過ごすことになることを想像しています。



あらためて本作の話にもどると、冒頭でも書いたとおりこの作品は選択することのできない出来事に見舞われた老夫婦の姿を描いています。そしてその出来事というのは「私が将来自分の身に起こることを想像し、覚悟していることのひとつ」であるために、どうしても自らに訪れる未来として観ずにはいられませんでした。

果たして、わたしもこの作品のジョルジュのように自らの人生と向き合って最期を迎えることができるのかどうか。
観ていればいるほど自信がもてませんでしたし、決して後味のよい作品ではありませんでしたが、自らの手に何も選択肢が残っておらずただ受け入れることしか出来なくなったときのことを考え、感じるきっかけとなりましたし、そういう意味でも自分にとってとても大事な作品となりました。



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*1:書けなかった