「監督失格」見たよ


35歳の誕生日前日に自宅で急逝した女優・林由美香に焦点を当て、大切な人の「喪失」と、それに向き合う人々の「再生」を描いたドキュメンンタリー。「エヴァンゲリヲン」シリーズでおなじみの庵野秀明が手がける実写映画初プロデュース作品。監督を務めるのは、林由美香の仕事仲間であり元恋人である平野勝之

『監督失格』作品情報 | cinemacafe.net

(注意)
いまさらネタバレ云々という作品ではありませんが念のために申し添えておくと、本エントリーには作品の内容について触れている部分がありますので、そういうのが嫌な人はご注意ください。


TOHOシネマズ宇都宮にて。


観終わってから一ヶ月以上経ってしまったのですが、観終えてすぐに感想を書こうとしたもののどう消化していいのか分からず、あっという間に今日にいたってしまいました。たまに思い出しては頭の中で反芻してみるものの、結局とりとめのないものにしかまとまらないので整理もかねてざっくりと考えていることを書き出してみようと思います。
# 文体はまとめられなかったし、感想にもなりませんでした...


1. そもそもこの作品ってどういう話?

大きく2つのパートに分かれていて、前半は監督とその恋人である林由美香が東京から自転車に乗って最北端の地を目指すというドキュメンタリーで、後半はその旅行後に別れてしまった二人の後日譚(というには長過ぎますが)についてのドキュメンタリーです。


前半部分の自転車旅行については、設定そのものの特異性というか、既婚者が不倫相手との旅行をカメラにおさめて映画にするという状況自体にまずおどろいてしまいました。あまりに衝撃的過ぎて、それが倫理的にいいとか悪いとか思う前に「自分の欲求にすなおな人だな」と思ってしまうほどでした。監督の気持ちについては理解も共感もできないけれど、でもこの人しかできないことだと思うしその映像を見られるのはおもしろいなと思いました。


後半部分については由美香さんの死を中心に、それによって大きく影響を受けた人たちの姿が描かれていました。

2. 印象に残っているのはどこ?

前半部分については由美香さんが監督に「監督失格だね」と言い放ったところがすごく記憶に残ってます。
由美香さんの表情もふくめてとても印象的。


この作品を観ていて常に感じたのは、わたしの感覚で判断すれば撮らなくてもいい(むしろ撮るべきではない)映像についてもすべてカメラにおさめられていて、ここまで撮らなくてもいいだろうと思っていました。宿泊している車内で由美香さんが酔っぱらっておしっこをもらしたりするところなんて別に撮らなくていいだろうと思ったし、編集でカットしてもいいじゃんと思うのですが、でもそれすらも撮影して公開してしまうのです。

それほどまでにさまざまな場面をカメラにおさめているのに、由美香さんは監督が自分とケンカをしているときにカメラをまわさなかったことを指摘して「そういうときにカメラをまわせないなんて監督失格だね」と言い放つんですね。


で、このシーンを観たとき、そして由美香が亡くなったと知ったときに、作品にこのタイトルをつけてしまった気持ちがすごくわかってしまったんです。好きだった彼女に言われたことにしがみつかずにはいられなかった監督の気持ちが痛いくらい伝わってきたんですよ。


好きな人に言われた言葉というのはものすごく大きく影響するものでして、たとえ相手がそれほど重く考えた言葉でなかったとしても、言われた側はものすごく重く受け止めてしまうんですよ。まして相手が目の前からいなくなってしまったとなれば、残されたその言葉にすがりつくしかないわけで余計に重さをもってしまうんですね。


後半部分については、やはり由美香さんが死んでいることを監督と助手、そして由美香さんの母親が見つけるシーンがとても印象的でした。演技ではなく、本当に人が心から嘆き苦しむ姿というのはこれほど観ていてつらいものかと胸が苦しくなりました。


あとは最後に監督が自身の心境を吐露するところはすごく苦しかった...。喪失の苦しみから抜け出すためには失ったことをいったん認めなければならないんだけど、それができない・したくないという気持ちについてはよくわかります。

3. ここまで書いてみて思いついたこと

ソラノートというダダ漏れと称していろんなことをUstreamで流すことを商売にしている会社があるのですが、その事業内容や姿勢がわたしはすごく苦手でした。クローズドな環境にあって限られた人にしか見られなかったものをオープンな場にもっていって大勢の目にさらすということについて、その行為に一定のメリットがあることは認めつつも基本的にはわたしは否定的な立場をとっていました。


もちろん、そう感じること自体はわたしの価値観による判断なのですが、一方でもっと根本的ななにかがソラノートには足りないがためにそう感じるんじゃないかなという気がしていました。ただ、その何かというのが正直分からなかったのですが、この作品を観て、プライベートを公開しようという場合には「みずからのすべてを晒す覚悟」と「晒すことによって批判される覚悟」が必要だということは理解しました。ソラノートにはそれがなかったし、そもそもそんな覚悟も気概もなく、ただおもしろそうだと思うモノをつまみあげては大勢の目に見えるところに垂れ流して利益を得ているところに不快感をおぼえていたんだろうと感じました。


自分という人間そのものや、自分自身の中にある想いや考えをいっさい隠し立てせずにすべてを晒す覚悟のもつ力をこの作品から感じました。


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