うれしい相談、嫌な相談


こんな適当でいい加減なわたしですが、そんなわたしでも稀に相談を受けることがあります。
相談の内容はいろいろとありまして、例えば仕事関係だと作っているプログラムの内容やクエリーの書き方に関する相談だったり、仕事を辞めたいとかお前が辞めろ*1というものから、あとはプライベートでのこともたまにあります。


基本的にはそうやって相談をもちかけてくれることは嬉しいですし、なるべく「聞いてよかったな」と思ってもらえるような態度をとるよう心掛けています。それってどういう態度なの?というのを具体的に申し上げると、例えば仕事の相談には自分の考えを伝えたり、プライベートな相談にはあまり発言せずに聞くだけに徹するというのがおすすめです。相談の内容にもよりますが、大抵これで間違いありません。


で、上述のとおり基本的には相談されること自体はとても嬉しいことなのですが、最近は相談と言う名を借りた問題の丸投げを多く経験していてとても嫌な気分になることがあります。


内容としては主に仕事での相談なんですが、その人が解決すべき事案を相談しに来た時に、そこまでに考えたことや自分なりの意見ももたずに相談しに来る人がいます。もちろん何から調べたらいいのかわからないというケースも往々にしてありますし、何ももたずに相談すること自体が悪いわけではありませんし、それを責めたいわけでもありません。
それでもいいんです。
極端なことを言えば、問題解決のきっかけが見つからなくてもわたしと話した結果すっきりするだけでもいいと思うんです。全然OK。


嫌なのは、最終的に相談した内容の決定をわたしにゆだねてくるケースがあってそれがものすごく不愉快なのです。
何で聞かれただけのおれが決めなきゃいけないんだと。
誰かに相談をする時というのは普通は自分が聞きたいことや話したいことがあってするわけであって、相談されている側は立場的にはあくまで受け身なんです。だから決定や行動の主体は聞く側にあるのは当然ですし、相談をされた人が最終的な結論を出すことがおかしいというのは当然すぎるくらい当然だと思うんですよね。


失敗はしない方がいいし間違いも犯さない方がいいのは当然ですが、それでも自分の行動に関する最終的な決定は自分でしないといけないだろうと思います。他人の決定で自分の行く道を決めていいの?と思うし、そんな責任の一端(場合によっては全部)を押し付けるような相談の仕方は止めてくれよとわたしは本当にお願いしたい。


失敗したっていいじゃない。間違ったっていいじゃない。
今の世の中、一度や二度の失敗で命までは取られないですよ。
仮に自分で考えて自分で決めた結果が失敗だとしても、その選択に至る過程で全力を尽くしたのであればそれは必ず糧になるとわたしは信じています*2


こういう残念な相談はなるべく受けたくないし、勘弁してほしいなと思う今日この頃です。
時間や心に余裕があるときだったらまだいいんですが、いまみたいに余裕がなくなってくるとこういう不愉快な相談の一つ一つが心をむしばんできます...。相談したりされたりするのや、そもそも人と話すことが好きだからあまり嫌だとか言いたくないんですけどね。。。

*1:これは嘘

*2:逆に他人に決めさせて行った結果がたとえ成功したとしても、それがいったいどれだけあなたの人生の糧になるんでしょうかとも問いたいくらいです