気持ちの伝わりやすさは距離の二乗に半比例する

高校で物理を習った人であれば、こんな式を見た記憶があるかと思います。


F = G * \frac{{m_1} * {m_2}}{r^2}


{m_1}{m_2}を物質1,2の質量とし、rを2つの物質間の距離とした場合に両物質にはたらく万有引力の大きさFを計算するための式です。ちなみにG万有引力の係数と呼ばれる定数です。


この式が教えてくれることは2つ。
一つは重い物同士はより強く引かれあうということ。そしてもう一つは近くにあればあるほどより強く引かれあうということです。このうち特に印象的なのは後者でして、距離の二乗に半比例してその作用が弱くなっていくということは、つまり遠くのものに与える影響はかなり小さいと言えるのです。


わたしが高校で初めてこの式を学んだときに感じたのは、これは力学だけではなくもっと普遍的な関係にも言えることなんじゃないかということです。


例えば。
失敗する恋愛形態の代名詞のように言われることが多い「遠距離恋愛」。
親の転勤だったり進学だったり就職だったり、最近だと出会いがネットだから住んでた場所が偶然遠かったりと、その理由はさまざまですが遠く離れた人と付き合うということはよくある話です。最初は「距離なんか関係ない」と言っていたとしても、いつしかその距離が負担になって次第に疎遠になっていくことが多いようです。
体の距離は心の距離とはよくいったもので、離れていることがお互いの気持ちや考えを伝えにくくして心が離れてしまうのです。


もし、この気持ちの伝わりにくさを定量的に式として表すとすれば、まさにこの万有引力の式と同じように距離の二乗に半比例して力(気持ち)が伝わらなかった的なことになるんじゃないかとわたしは思うわけです。{m_1}{m_2}がお互いがお互いを思う気持ちの強さを表すスカラーだと仮定すれば、強い想いがお互いを強く惹きつけあうというのもすごくしっくりくるじゃないですか?


つまり万有引力とは物体自体ではなく、気持ちの引き合う強さを表すための式でもあったんだ!


(; ・`д・´) ナ、ナンダッテー !? (`・д´・ (`・д´・ ;)


MMR的なやりとりはさておいて、最近ずっと考えていたことがありましてそれは「今回の震災で自分にできることはなにか」ということです。


テレビからは毎日毎日津波による悲惨な映像が飛び込んでくるし、被災地が出身地に近いということもあって自分にも何かできないのか?と言うことをずっと考えていたのです。募金は当然するとして、現地でボランティアというのも違うなと思うし、でもそれ以外の手段が何も思いつかなくて何をしていいのかさっぱり分からなかったのです。


それで今日の帰り道もそんなことをぼーっと考えながら歩いていたのですが、ふと自分の力を過大評価していることに気付いたのです。


わたしは今回の震災で被災された方に何かをしたいと思ったけれど、でもわたしと被災された方は当然遠くに住む他人であり、その間に接点は何もありません。そんな距離のある人に対してわたしが何かしてあげたいと思ったとしても、体も心も遠くにあるその人たちにこの気持ちを届けることはとても難しいのです。まさに距離が気持ちを希釈してしまうという状態。


だから、わたしは被災者の方々に直接何かできることは無いかと考えることを止めました。
たぶん募金したり献血する以外にわたしが役に立てることなんかないのです。先日読んだ「愚者のエンドロール」でも出てきた「技術のない者にいい仕事はできない」という言葉のとおり、わたしには今の惨状を解消するための技術は何もないのですから、自分が何もできないことをまずは自覚すべきところから始めないといけないと思ったのです。


そんなわけで自分に出来ないことにこだわり続けるよりも、自分が日常的に関わることの出来る距離にいる人たちに対して自分が出来ることをする。それが自分にできる唯一のことなんだろうなと。


結局、人が影響を与えられる距離なんて限られていて、家族とか友だちとか会社の人とかそのくらいのもんなんです。
今回、わたしはテレビを見て遠くに住んでいるこの被災された方々に何かしたい!と思ったけれど、その人たちに直接役に立てることなんてなかなか出来るものではありません。もし被災した中に家族や知り合いがいれば、全力でサポートしますが、それ以外の方にも何かできると思うのは単なる思い上がりです。


だから自分に出来ることをちゃんとやること。もし余裕があるんだったらいつもよりももっとちゃんとやること。
それを明日から実践していこうと思います。