「フィールド・オブ・ドリームス」見たよ

アイオワ州の田舎町に住むレイ・キンセラは農業でなんとか家計をやりくりする、一見普通の貧乏農家。ただ、若い頃に父親と口論の末に家を飛び出し、以来生涯に一度も父の顔を見る事も、口をきく事すらもなかった事を心の隅で悔やんでいる。ある日の夕方、彼はトウモロコシ畑を歩いているとふと謎の声("If you build it, he will come." = 「それを作れば、彼が来る」)を耳にする。その言葉から強い力を感じ取った彼は家族の支持のもと、周囲の人々があざ笑うのをよそに、何かに取り憑かれたように生活の糧であるトウモロコシ畑を切り開き、小さな野球場を作り上げる。その後しばらく何も起きなかったが、ある日の晩、娘が夕闇に動く人影を球場にみつける。そこにいたのは“ブラックソックス事件”で球界を永久追放され、失意のうちに生涯を終えた“シューレスジョー・ジャクソンだった。

フィールド・オブ・ドリームス - Wikipedia

TOHOシネマズ宇都宮にて。午前十時の映画祭にて鑑賞(29本目)


いままでやったことのない、初めてのことをやろうというときは、わたしはいつも緊張してうまくやることが出来ません。
もちろん普段やり慣れてないことをやるわけですからうまくいかなくても当然といえば当然ですが、それ以上にどうしても「果たしてこのやり方でいいのかどうか」とか「これは正しいことなのかどうか」といった不安が次々と湧き上がってきてはそれをぬぐいきれず、結局そんな余計なことばかり考えてしまってうまくいかず失敗してしまったりするわけです。


そんな時にいつも考えるのは「このやり方で絶対にいいんだ!」とか「これは正しいことなんだ!」という自信をもちたいということであり、もし自信を持って行動出来たらたとえ初めてやることでも絶対に失敗しないのに!という思うわけです。
「Mr.無いものねだり」と呼ばれたことのあるわたしらしい考えですが、でも世の中には初めてやる事であっても堂々と取り組める自信家がいるの知っているのでついついそんなふうになりたいと願ってしまうんですよね。。。


そんなわたしが本作に惹かれた一番の理由は「一切の疑念を持たずに信じることのできるなにかをもつこと」が描かれた作品だからです。


ある日、畑の中で謎の声を予言として聞いたレイは、気持ち悪いと思いながらもその声の導きにしたがって行動を起こすようになります。
そしてその行動は正しい結果を生むことで、その声の主を正しい方向へ導く者として受け入れるようになり、最後にはその声の言葉を無条件に信じて従うようになるのです。
この過程で、周囲には理解しがたい行動をとり続けるレイは徐々に変人扱いをされるわけですが、そんな周囲の反応をまったく意に介することなく言葉の導くままに行動を続けます。レイの立場を自分に置き換えて考えてみると、もしわたしが周囲からバカにされたり変人扱いされたときには「これってもしかしておかしいのかな...」などと考えて一度自分の行動を見直してみようとか思ってしまいそうです。ですが、レイはそうではなくて「その言葉に従うことこそが正しい結果につながる」という確信をもって言葉に従い続けるのです。


信じるものがあるという強さ。


最初、わたしはそういう強さが欲しいと書きましたが、率直に言ってこの作品を観て「一切疑わずに信じる」という行動は非常に怖いものとしてうつりました。宗教にのめり込んだり、マルチにはまる人のように、盲目的に何かを信じる人特有の横暴さを感じ取ったのです。
畑を売らないとローンも返せない状況にあるのに、よくわからない寝言みたいなことを言い続けて現実をみようとしないレイは客観的に見ればやはり怖いんですよ。まともじゃない。

もちろんそういった嫌な感情ばかりではなく、レイのとった行動やその結果生まれたものにはすごくグッときたし、やはりいいなとも感じたのですが、それだけではなくてやっぱりどこか怖かったのです。
ラストでその状況が覆るからこそあんなふうに感動が生まれるという一面もあるわけですから否定ばかりも出来ませんけど。


あとラストといえば、予言のように聞こえてきていたすべての言葉のつながった先があの結末だったと知った時にはかなりゾクゾクしました。思い返してみるとずいぶん伏線が張られていたので、気付く人はすぐに気付いたのかも知れませんが、わたしは全然予想もしていなかったのでかなりのサプライズでした。


こういう話、好きだ!! ← 結局この作品のことも大好きだっていうことで。