虚構新聞の件をデマ扱いするのは納得できないというお話


昨日から今日にかけて、虚構新聞の書いたエントリー(こちら)が話題になっていました。

大阪市橋下徹市長は13日、市内全ての小中学生に短文投稿サイト「ツイッター」の利用を義務付ける方針であることを明らかにした。早ければ6月にも「ツイッター利用条例(仮)」案を市議会に提出、可決した後、2学期が始まる9月からの本格施行をめざす。

橋下市長、市内の小中学生にツイッターを義務化


虚構新聞なので内容は完全なウソなんですが、これに釣られてしまった人たちと、その釣られた人たちをtogetterやNAVERにまとめて晒す人たち、そしてそんな晒した人たちの無神経さにキレる人たちが百花繚乱入り乱れて争いをくりひろげておりまして、ああひさしぶりにカオスなインターネットという雰囲気で盛り上がっていて思う存分楽しませてもらいました。


そんな楽しいお祭り騒ぎを今日のお昼くらいに観測してみたのですが、この件については2つの議論があることに気付きました。

    1. 虚構新聞は「これはウソですよ」という前置きをタテに平気でデマを書いているんじゃないかという問題
    2. 冗談だと知らずに読んでしまって釣られた人をバカにする人の問題


この2点について考えをまとめてみようと思います。

1. 虚構新聞は「これはウソですよ」という前置きをタテに平気でデマを書いているんじゃないかという問題


これ、デマの拡散だろといきどおっている方がいらっしゃいましたが、わたしはそうは思いませんでした。


「そもそもデマとは?」とか言い出すと長くなるので、ここでは「悪意を持って他人の悪評を流すこと」としておきますが、以前から虚構新聞の存在やら芸風を知っていた人からみればいつもの記事だなと思う程度の内容なわけです。

ただ「あの記事にはまったく問題がないのか?」とあらためて問われるとさすがにそれは無理があるというか、記事の内容があまりにリアル過ぎて、ウソかどうかを判断する材料が「虚構新聞の記事であるかどうか」くらいしかないのはちょっと苦しいかなとは思います。


ただ、そこまでは同意という名の理解は示しつつも、でも虚構新聞が元より本当っぽいウソを楽しむサイトであるということを考えればそこに悪意があると考えるのは不自然だと思うわけですよ。もちろんほんとのところはわかんないですが、少なくともずっと読んできたわたしには感じられませんでした。


とは言え、この話を「だまされた人が悪いんだ」とか「ウソを書く方が悪いんだ」という主張を軸に議論しだすとただの水掛け論になるのは目に見えているので、そこはあえて議論をして決着させるのではなくて、ろくにソースも確認せずにワーワー騒いで恥ずかしい目にあった人は次は同じような目に合わないように気を付けるだけでいいんじゃないかと思うのです。


不注意で転んでしまった人が次は転ばないように気を付けましょうという感じでしょうか。

2. 冗談だと知らずに読んでしまって釣られた人をバカにする人の問題

で、話はこちらに続くわけですが、ジョークだと知らなくて釣られてしまった人たちをバカにする人たちがいましたよというお話です。具体的にはtwitterNAVERといったまとめサイトに、釣られた人たちの発言をまとめて晒しあげたわけです。

こいつら釣られちゃってるよwみたいな感じまとめられてました。


これに関しては議論の余地もないというか、公然と誰かをバカにする行為ってわたしは好きじゃないしそういうのを見たり聞いたり読んだりするとすごく嫌な気分になりますし、実際まとめられた内容をを読んで鬱々とした気分になりました。
「自分がまとめられたわけでもないのになんで鬱々とすんの?」というと、自分もまとめられるような発言をしそうだという自覚があるからなんです。だから、こうやってまとめられているのを読むと、いつか自分の失敗もこうやって晒されるような気がして気が滅入るのです。


これについてはどう対処すればよいのか分かりませんが、そういった他人をバカにするだけのまとめは読まないっていう対応しかないかなと思ってます。ネットに限らず、人の失敗をあげつらって楽しむ人はどこにでもいるわけで、そういうのはもう気にしないようにするしかないですよね...。

現実と違って、そういう情報も可視化されてしまうのがつらいところですが。

まとめ


今回なんでこんなことになったんだろう?と考えてみると、おそらく以下の3つの理由かなと思ってます。

    1. ウソと言いつつあまりにリアリティがあり過ぎた
    2. ネタのチョイスに失敗した
    3. サイトを目にする人の層が変わってきた


個人的に一番大きな理由は「サイトを目にする人の層が変わってきた」というのが該当するのかなと思っています。いままではウソをウソとして楽しむ人が見るサイトだったのが、今回はもっと広範な人の目に留まってしまい過剰な反応を生み出してしまったんじゃないかなと。


結局のところ、ジョークというのはそれがジョークであるというコンセンサスが取れなければただのウソなんですよね。これは"笑わせる"という行為が「互いに価値観を共有している」ことが前提になっていることとなんとなく似ていると思うのですが、虚構新聞については書き手と読み手の間にそういったミスマッチが生まれつつあるんじゃないかなと。


虚構新聞の存在が大きくなったのか、それともネタがタイムリー過ぎたのか、はたまたエントリーの内容が失敗だったのかわかりませんけど。


まとめと言いつつ全然まとまらなくてハラハラしてきたのですが、結局何が言いたいのかというと、インターネットは今回の虚構新聞のネタ程度のことは書ける場であり続けて欲しいということです。この程度の悪ふざけも言えないインターネットなんておもしろくもなんともないじゃないですか...。


批判されるのが嫌ならパブリックな場には書くなとか言う人がいますし、その理屈はすごく分かるのですが、でもその考え方が蔓延してしまうと(今でも十分蔓延していますが)、くだらなくておもしろいことを書くかも知れない人の発言を阻害している可能性だってあると思うのです。

なんかそういうのがもったいないなと思うし、だからこそくだらないことも書きやすい場であって欲しいんですよね。


っていうか、そもそもこのエントリーに怒っていいのは橋下さんだけじゃないかなーと思うし、無理やり一般論として昇華して「デマが云々かんぬん」っていうのはなんか違うんじゃないの?と思ったのでした。


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