自己肯定感をどう育てるか

昨日調べ物をしていたら豊島ミホさんが昨年末から休業しているという話を聞き、とてもおどろいてしまった。
2008年に小説新潮で休業宣言をしていたそうで、既に生家のある秋田へ戻られているそうです。
いま一番好きな作家は誰かと聞かれたら間違いなく一番に名を上げたい人だったので、もうしばらく本を書く予定がないということを知って大変残念でなりませんでした。


それで落ち込んでばかりいてもしょうがないのでその後またいろいろと調べてみたのですが、どうやらある雑誌で豊島さんの特集(インタビューや対談、出した本へのコメント等々)を汲んでいるということを知り、すぐにAmazonで探して注文しました。


papyrus (パピルス) 2010年 02月号 [雑誌]

papyrus (パピルス) 2010年 02月号 [雑誌]


で、今日の夕方に届いていたので仕事から帰ってきてからすぐに読んでみましたが、なぜわたしが豊島さんの本が好きなのかがこれを読んでわかったような気がします。本が売れないことに対する悔しさや焦り、それはしっかり本を売上げて出版社へ利益を還元することで自分はちゃんと自立しているんだという確固たる自信/安心が欲しかったからだという著者の言葉はとても切実で本音に満ちています。
わたしからすれば本を20冊近く出版していて、そのうち1冊は映画化までされている時点で十分人気作家だと思うのですが、ご本人は全然そうは感じていなくて売れないことに悲観し続けていたようなのです。


もともとわたしは自己肯定がつよい人は好きではないのですが*1、あらためて振り返ってみると豊島さんの本に出てくる登場人物ははどこかそういった自己肯定のよわさをのぞかせていることがあるような気がします。周囲の評価にくらべて自分自身の評価が不当なくらい低くて、常に自分を肯定したいけど出来ないことに悩んでいるその人たちの姿にわたしはシンパシーをおぼえるのです。


さらに豊島さんはインタビューの中でこんなことを述べています。

「そんな感じです。あと、私、雑誌なんかで、同業者に褒められたことが一度もないんですよ。それも今思うと、自信が持てなかった理由のひとつかも。他の作家さんが、"豊島ミホの小説いいよ"って言ってくれてるのを、読んだことがなかったし、帯の推薦文を書いてもらった経験もないし」


すごくストレートというか本音がズシンと伝わってきます。同業者に認められたいという気持ちはすごくよくわかるし、こういった小さな肯定の積み重ねが自身の肯定感を作り上げられていくんだと考えると、豊島さんが現在の心境に至ったのも何となくわかるような気がします。
ただ、ここでの豊島さんの発言というのは、社会人が学生時代を語るような、死んだ人が生きていた時代を振り返るような、そんなもう戻ることの出来ない過去に言及している空気がすごく感じられて、豊島さんご本人はもう小説を書くつもりがないんだなということがとても感じられました。



わたしみたいな一介の読者から褒められても嬉しくないとは思いますが、でもわたしは本当に豊島さんの本が大好きで大好きで、読み終えた本もたまに思い出して手にとって何度も読み直してしまうほど文章のひとつひとつやそこから浮かび上がる情景をこよなく愛していました。
もう数年は小説なんて書く気にならないかも知れませんが、ぜひその気になったらまた小説を書いて出版して欲しいです。10年でも20年でも生きている限り、気長に待とうと思います。いつか来るかもしれないその日を楽しみにしています。

*1:でもそれ以上に自己否定のつよすぎる人はもっと好きではないのです