「スタンド・バイ・ミー」見たよ

1950年代末のオレゴン州の小さな町キャッスルロックに住む、それぞれ心に傷を持った4人の少年たちが好奇心から、線路づたいに“死体探し”の旅に出るという、ひと夏の冒険を描いている(原作ではキャッスルロックはメイン州に存在する)。原作はスティーヴン・キングの中篇集『恐怖の四季』の中に収められた秋の物語「THE BODY」(直訳で「死体」)である。

スタンド・バイ・ミー - Wikipedia

TOHOシネマズ宇都宮にて。「午前十時の映画祭」上映作品。


子どもは世の中のことをあまり知らないためか、好奇心のかたまりのようにさまざまなものに興味を示すことが多いのですが、特に怖いものにはものすごい興味を示します。例えば小学生くらいの子どもはお化けの話とか超大好きで、怖過ぎて座ったまま見ていられないくせに「あなたの知らない世界」を楽しみにしていたり、夏になると夜に墓場で肝試しなんていうこともしちゃいます。


そんな怖いもの大好きな子どもたちが人間の死体に興味をもつのはある意味では自然なことなのかも知れません。


自分のことについて思い出してみると、わたしが初めて遺体を見たのは同居していた祖父が食道がんで亡くなったときでした。当時わたしは10歳だったと記憶しています。
祖父は亡くなる前の数ヶ月は既に病院で寝たきりになっていて、起きて話したりすることも無かったのですが、それでもそこにいつもと変わらずただ横たわっているだけのはずの祖父の姿は普段の寝ているときとはどこか違うふうに感じたことはつよくおぼえています。呼吸をしていないとか、顔が異様に白いとか、そういう見てわかることだけではなくて、「死」という状態にある事実が祖父の姿から伝わってきたのです。死が何なのかは全然わかりませんでしたが、生と死の間にある大きな隔たりはおぼえています。


本作「スタンド・バイ・ミー」は4人の少年がある場所に死体があるという話を聞きつけて、それを見に行こうと歩いて旅に出る物語なのですが、わずか3日間のこの旅は、少年たちが大人になる最初の一歩を踏み出すきっかけとなる様子が精緻に描かれているすばらしい作品でした。


長い距離を一緒に歩くといったいどういう効果があるのか。
以前「夜のピクニック」という本を読んだときに、わたしはそんな疑問を抱いたことがありました。
全校生徒が列をなして一昼夜かけて80kmという長い長い距離を歩く「歩行祭」を舞台にした作品ですが、異母兄弟として長い間互いを忌避していた貴子と融が最後には相手に対する率直な気持ちを伝え合うことができるようになるというところにわたしはものすごく興味を抱きました。
なぜ一緒に歩くことで今まで許せなかった相手と打ち解けられるようになったのか。そのプロセスを何度も何度も読み直すうちに、一緒に歩いて苦楽を共にすることで一緒に歩いている相手のことを理解することが出来るようになったんじゃないかと思うのです。


本作もまた、一緒に歩いている4人はそれぞれがそれぞれの悩みを抱えて生きているのですが、そのいくつかはこの旅の中で行き場を失ったり抱えきれなくなって暴発してしまうのです。4人は互いのそういった悩み、つまりは弱い部分を受け止めあい、そして旅を続けます。
線路沿いを歩くその過程において、互いを理解し、受け止めあうことで成長する4人の姿がとてもグッときました。


20年以上もの間、名作と呼ばれ続けた作品だけあって本当にすばらしい作品でした。


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