「異邦人」読んだよ

異邦人 (新潮文庫)

異邦人 (新潮文庫)

アルジェリアのアルジェに暮らす、主人公ムルソーのもとに、彼の母の死を知らせる電報が養老院から届く。母の葬式に参加したムルソーは涙を流すどころか、特に感情を示さなかった。彼は葬式に参加した後の休みの期間中、遊びに出かけたまたま出会った旧知の女性と情事にふけるなど、普段と変わらない生活を送る。ある晩、友人レエモンのトラブルに巻き込まれ、アラブ人を射殺してしまう。ムルソーは逮捕され、裁判にかけられることになった。裁判では人間味のかけらもない冷酷な人間であると証言される。

異邦人 (小説) - Wikipedia

本を読んでいると、たまにものすごくイライラする主人公に出会うことがあります。
このときに注意しなければならないのは、わたしがその主人公に対してどのような理由で不愉快さを感じているのかをしっかり見極めないといけないということです。単にわたしの嫌いな性格だとか、自分にはない能力を持っていることに対して嫉妬しているだけであれば比較的気持ちの整理もしやすく、本を読み続けることもさほど難しくないのですが、「自分自身の嫌な部分が投影されている」人に対する同属嫌悪である場合にはその本を読み進めることは途端に困難となります。


そして本作を読んでムルソーに対して覚えた不快感というのは、残念ながら後者に属する部分が多いようでして、わずか120ページほどの本書を読み終えるのに一週間もかかってしまいました。まさかわたし以外に母親をママン呼ばわりする人がこの世の中にいるとは夢にも思っていませんでした....というのは冗談ですが、ムルソーの「親も含め、自分以外の他者にはあまり興味を示さない自己中なところ」というのは自分にも重なる部分であって、まるで自分の幼さを露呈されたようで思わず赤面してしまいます。
さらにすごいのは、ムルソーはそのような他人への無関心を隠そうともせず、さらりと口にしてしまう無神経さも併せ持っているのです。この図太さはわたしにはないものであり、小心なわたしにとっては身に付けたいと願うスキルでもあります。


わがままな自分を見ているようで嫌だなと思う一方で、自分にない図太さを見につけていることに嫉妬してしまうムルソーという存在をわたしはどう消化しようかと悩みながら本書を読みましたが、ムルソーの裏表の無い性格や共感できる考えを発見するに従って徐々にムルソーが嫌いではなくなっていました。


世の中には常識と呼ばれる枠があり、多くの人はその枠の中に収まる思想/行動を共有することで生きやすさを得ています。
ですが、ムルソーは明らかにこの枠からは外れた人間であり、彼自身もそのことを少しずつ理解していきます。
ムルソーは人を殺してしまいましたし、そのことは裁かれてしかるべき行為であることは間違いありません。ですが、彼にもっとも重い死刑が宣告された最大の理由は彼が世間の枠から外れていることを理由にムルソーという人間の中には存在していない悪意を勝手に想像されてしまったからなのです。
彼という人間がもっと陪審員たちに理解されていたら、こんなことにはならなかったはずだと思うととてもやるせない気持ちになります。


人は誰もが違っていて同じではないし、だからこそ大勢に理解されない人間であってもそれはそれとして尊重されなければならないのだとつよく感じたのでした。