容姿端麗な優等生の娘・加奈子(小松菜奈)が部屋に全てを残したまま失踪した。元・妻の依頼でその行方を追うことを請け負った元父親・藤島昭和(役所広司)。家族が破綻した原因が自分の性格や行動であることには一切目もくれず、自分の“家族”像を取り戻すことだけを夢想し、なりふり構わず娘の行方を調査する。過去と現在の娘の交友関係や行動をたどりながらやがて、今まで知らなかった娘・加奈子の輪郭が徐々に浮かび上がっていく。果たして父は娘を見つけ出し、あの頃夢見た“幸せな家族”を取り戻すことができるのだろうか?
『渇き。』作品情報 | cinemacafe.net
(注意)
本エントリーは物語の結末に触れている部分があるので未見の方はご注意ください。
原作を読んでから観に行くつもりでしたが、観終わった人の話を聞いていたらなかなか想像していた以上に重そうな内容でして平日の仕事終わりに観に行くのはとても厳しそうな印象を受けたので日曜の夜に駆け込んで観に行ってきました。そんなわけで結局原作未読のままで観たのですが、覚悟していたほど重いばかりの作品ではありませんでしたしひじょうに楽しんで鑑賞してきました。
先日上半期トップ10を選んだばかりですが、それに入れようかどうか迷ったくらいおもしろかったです。
本作は「離婚して別々に暮らしていた妻から数日前から娘がいなくなったと相談を受けた元刑事が娘を探しまわる」というお話なんですが、この主人公の元刑事・藤島がとにかく関わりたくないタイプの人でしてその行動や発言にはびっくりするくらい共感をおぼえる部分がありません。食欲や性欲といった「生理的欲求」だけでなく、他者を服従させたり攻撃したいという「心理的欲求」など、自分自身の内側からわき出てくるいっさいの欲求を隠そうというそぶりもみせず、すべてむきだしのまま生きているそのさまは直視することを拒絶したくなるほど苦手だなと感じたのです。
この作品では藤島が終始失った家族を取り戻したいがために愛しているだのぶっ殺すだの繰り返し口にしながら娘を探し続けるわけですが、率直に言って「彼は本当に娘のことを大事に思って探しているのか?」と疑問に思ってしまうのです。自分の欲望にしか興味が無さそうな人が、「家族を取り戻したい」なんてことを言われたって信用できないですよね...。
ただ、彼は妻に浮気をされてその浮気相手をボコボコにしてしまったがゆえに失職+離婚するはめになったという過去がありますので、もし突然奪われた自らの居場所(家庭)をまた取り戻したいという欲求に執着しているんだとすれば、「娘のことを大事に考えている」というのとは違うものの娘のことを取り戻したいという考え自体は本心なんじゃないかという気もしてきます。
藤島は不快で共感をおぼえないキャラクターだということは間違いないのですが、彼がいったい何を考えていて発言のどこまでが本心からのものなのかまったくつかみどころがなくて、注視したくないのに彼の一挙手一投足から目が離せなくて見ながらあれこれ考えてしまいます。好きじゃないのについ観ちゃってあげくあれこれその本意を想像してしまうという不思議な引力がありました。
そんなわけで、物語を真正面から受け止めて観るだけでも十分楽しかったのですが、わたしは途中から「もしかしたら加奈子という人間は最初から存在していないのではないか?」という視点で観ても物語が成立することに気付いて観るのがかなり楽しくなりました。
じつは、作品を観る前に小説家・深町秋生×映画ブログ「破壊屋」が映画『渇き。』の魅力を語る! 「ヒロインは薬のメタファー」というインタビューを読んでいたのですが、観ている途中でこのインタビューに書かれていた「藤島加奈子は薬のメタファー」ではないかという部分を思い出しました。
誰もが心惹かれる存在であり、優しい言葉で近づいてきて最後にはすべてを奪っていく破壊的な存在。
そう考えると、たしかに加奈子の存在はまさにドラッグそのもののようにも思えます。
原作は読んでいないので何とも言えませんが、映画の中では加奈子がドラッグやそれに近い「中毒性のある悪質ななにか」の隠喩として描かれていて、藤島はその「中毒性の強いなにか」もしくは「それによって生じる効果」を求めているという構図になっています。
人生を狂わされてしまうほどの強烈な渇望を生み出す存在の怖さ、それは存在自体への怖さというよりも「自分自身がこういった存在に出会ってしまったら抗うことができないであろう」ことが容易に想像できることからくる恐怖だろうと思うのですが、ドラッグの怖さをリアルに想像できなかったわたしも加奈子の美しさと徹底した残酷さを目の当たりにしたことでその怖さを容易に想像できるようになりました。
そして最後まで観たわたしが抱いた疑問は「果たして加奈子は本当に存在していたのだろうか?」ということです。
結局、藤島と加奈子が顔を合わせるシーンというのは片手で足りるほどしかなく、それもどこかリアリティのないまるで藤島が観ている夢の中のようにも見えます。
たとえばシーンの切り替わりとともに年月日単位で時間をさかのぼることが何度かあるのですが、時間が戻るときはどのくらいさかのぼるのか示されるのに、逆に時間が現在に戻ったときには改めて戻ってきたことが示されないので時間の境界が明確ではなくどこか曖昧に感じられます。
その曖昧さのせいなのか、この作品の中で描かれた物語はじつはぜんぶ藤島の妄想でありそもそも藤島加奈子なんて人間は存在すらしていなかったのではないかという気もしてくるのです。
観ているときよりも観終わってからあれこれ考えてしまう作品でしたので、とりあえず原作を読んでできればもう一度観に行こうと思います。
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