「フライト・ゲーム」見たよ

NY発ロンドン行旅客機の警備のため、客を装って乗り込む航空保安官のビル。真夜中、彼の携帯に指定の口座に送金しなければ、20分ごとに機内の誰かを殺すというメールが届く。悪戯か本気か半信半疑でいるうちに、1人目の犠牲者が出てしまう。ビルは乗客を拘束して荷物や携帯を調べるが、何ひとつ手掛かりは見つからない。乗客名簿を調べた保安局は、「全員問題ない。お前以外は」とビルを疑う。彼には暗い過去があり、今もある問題を抱えていた。さらに犯人の指定口座がビルの名義だと判明する。2人目、3人目と犯行は繰り返され、機内の疑惑と緊張感が頂点に達するなか、次のタイムリミットが迫る──!

『フライト・ゲーム』作品情報 | cinemacafe.net


いまドラマでもやっているのですが、湊かなえさんの本で「Nのために」という作品があります。

Nのために (双葉文庫)

Nのために (双葉文庫)

内容は著者お得意の「ある事件をいろんな人から見た視点で切り取ることで描く」という羅生門チックな感じの作品でして、そういう作品が好きな人であれば楽しめると思います。ドラマは観ていないのでこういうシーンが再現されているのか分かりませんが、原作の中ですごく記憶に残っているセンテンスがあります。

それはごく平凡な女子大生の杉下が、同じアパートに住んでいる一歳年上で勉強もサッカーも人並み以上にできるという大学生の安藤に対して投げかけた一言でして、おれは世界で戦うだという安藤に対して「安藤くんだったら大きな会社に入って世界を相手に活躍できるかも知れないけど、でもそれだけで世界で戦えるの?」というものでした。

この会話がすごく印象に残った理由についてあれこれ考えてみたのですが、わたしは杉下の言いたいことをしっかりと説明は出来ないけれどでもすごいわかるからだなと思いいたりました。


安藤はサッカーでも勉強でも優秀な成績をおさめていてそれは人よりもかなり秀でています。
杉下もそのことがすごいことは認めているしだからこそ「世界を相手に活躍できるかも知れない」と言ったのですが、安藤にとっては世界と戦う武器として「勉強ができること」と「サッカーがうまいこと」は必要十分だったわけですが、杉下から見たら勉強やサッカーに秀でていることは世界を相手に戦えるような種類の武器ではないと思っていたと思うのです。

続いて放たれた杉下の言葉もふくめて考えてみると、おそらく杉下にとって世界と戦うために必要な武器と言うのは「生をつかみとれる力」だったんじゃないかなと。それは知識を得ることだとか、ボールをうまく操る能力よりももう一つ下のレイヤーに配置されている原始的な力なんじゃないかなと思うに至ったのです。


というのもわたしも杉下のような考え方をすることがよくあって、つまり何ももたない状態でいま目の前で起こっているトラブルを「よーいどん」で解決しなければならないとなったときに出せる力こそがその人の本当の実力だと思っています。自分自身が身に付けている力/スキルだけをたよりに何かを為せることはすごいことだと思うし、逆にお金をもっているとか人脈があるなんてのはその状況をつくったことはすごいことかも知れないけれど個人的にはどうでもいいなと思っちゃいます。

いざというときに裸一貫であっても対応できることが何よりも大事だと思っていて、わたしはそういう力をひっくるめて人間力と呼んでいますがそういう人間力の高い人にわたしは心の底から憧れています。


そんなわたしが心から尊敬してやまないのが本作の主人公であるリーアム・ニーソンです。

「96時間」/「96時間 リベンジ」ではさらわれた娘を助けるために、一人で犯罪組織に挑んでやっつけてしまいます。娘が悪い奴らにさらわれるなんていう絶望的なシチュエーションにも関わらず、ひょうひょうと、でも怒りに満ち満ちた顔を見せながら大勢の悪者を追いつめて行く様子がもう超かっこいいんです。もしあこがれの父親像を挙げろと言われたらまっさきにこの作品のリーアム・ニーソンを挙げたいくらい大好きです。



そして本作においてもやはりリーアム・ニーソンはその人間力を駆使して闘います。
身に覚えのないハイジャックの疑いを大勢の乗客から疑われても、自分が圧倒的に不利な立場に立たされても、それでも彼は自らだけを頼りに戦い続けます。頼れる人もほとんどいない、敵を探るための武器もない、そんな絶望的な状況においても諦めずに戦うのです。

そんなリーアム・ニーソンが本当にかっこよかったし、最後はちょっとグダグダだったけどでも十分過ぎるくらい楽しんで鑑賞出来ました。


こういうリーアム・ニーソンがすごく好き!


@MOVIX宇都宮で鑑賞



公式サイトはこちら