「ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない」見たよ


高校中退、26歳ニートのマ男(小池徹平)は、母の死をきっかけに一大決心をする。情報処理の資格を取得し、必死に就職活動をする。だが、落ち続けること数知れず、ようやく採用にこぎつけたのは想像を絶するブラック会社(問題企業)だった! 入社初日からサービス残業は当たり前、納期に向けて残業を繰り返すばかり。責任感のない上司に無能な同僚、精神状態不安定の先輩、無関心な社長…。何度もくじけそうになりながらも、成長し続けるマ男についに限界が訪れる! はたしてマ男の運命やいかに? 2ちゃんねるへの書き込みがきっかけで誕生したスレッド文学の映画化。一人のニートが問題企業に就職し、追い詰められた環境の中で成長していく姿を描いた感動の実話。

『ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない』作品情報 | cinemacafe.net

MOVIX宇都宮にて。


元になった2chのスレはまとめサイト経由で読みましたが、起きた事実の内容そのものよりも、目の前に映像が浮かんでくるように感じられるほど文章(主に会話部分についてそうでしたが)の組み立てのうまさに非常に感心したことを覚えています。もちろん物語自体も非常におもしろかったのですが、映画化されるほど多くの人を惹きつける要因となったのは間違いなく>>1がとても文章がうまかったからだと言えます。
あとは元ニートが頑張っているというシチュエーションもよかったのかも知れません。


さて。そんな2ch発の映画作品でしたが、観た感想としては可もなく不可もなくといった印象を受けました。ブラック会社の実態ということでそのまま描写してしまうと暗くなってしまうんじゃないかという不安もありましたが、過度に悪意を感じさせない絶妙なキャスティングが功を奏したのか、目も当てられないほどのブラック!!みたいなどんよりとした空気にはならなかった点はとてもよかったんじゃないかなと。
スレに記載された内容をうまく映像に落とし込んで2時間きっちりとまとめている点が非常によかったです。


ただ、基本的には単純に映像化してみたという以上の意味は感じられませんでしたし、上述のとおりブラック会社の実態をかなりオブラートに包んで表現しているために、ブラックのえぐい実態を期待して観るとちょっと物足りなさを感じてしまいます。あれ以上本気でブラック会社らしさを出してしまうと楽しく見ることはかなわないかも知れませんが、でもわたしはもう少しブラックっぽさを出した方がブラック会社というものに対してより多くの人に嫌悪感を抱かせられたんじゃないかなと思うのです。それが多くの人が望むものではないとは知りつつも、でも映像化することにあまり意味を見出せないこの作品において、あえて映画化した意味を与えられるとしたら「ブラック会社ってやだねえ...」という意識を観ている側に植えつけることなんじゃないかなと思うわけです。


ただ、実際にそういう社会派な作品になったらなったで、「原作とぜんぜん違う!!」なんて言っちゃいそうなんですけどね(笑)


突然話が作品の中に吹っ飛びますが、この話の中には主人公が師と仰ぐ「藤田さん」というキャラクターが出てきます。
藤田さんはとにかく優秀で、主人公が窮地に追い込まれるたびにさまざまな方法で救いの手を差し伸べてくれるのです。
わたしはこのやり取りの様子を見ていると、今から5年くらい前の自分の姿を主人公に見つけてしまい、とても他人事とは思えませんでした。作品の出来以上に、わたしがこの物語に執心してしまうのは自身が歩んだある時期ととても被る部分あったからです。


いまから5年前。
当時からわたしは一人で仕事を抱えることが多くて、いつもメインの業務とは別に何かしらトラブルを処理することに多くの時間を取られていました。そのため、気づけばメインの仕事も遅延しがちだったし、残業時間もかなりの量になっていたのです*1
上記のとおり、基本的にはいつも一人仕事が多かったので、誰かに頼ったりすることもなかなかできず*2、日を追うごとにストレスがたまっていって本当にいつ潰れてもおかしくないくらいに磨耗していました。当時のわたしの口癖は「まだ大丈夫」だったのですが、今思いかえしてみると全然大丈夫じゃねーよと笑ってしまいます。
というか大丈夫って言う人って、基本的に大丈夫じゃないことが多いですよね。


一応フォローしておくと、会社自体は別にブラックではないですよ。
元々わたしはいろんなことを自分ひとりで抱え込みやすい性格だということと、生産性っていうんですか?それが低かっただけなんです。わたしがもっと周囲に助けを求めればそれで解決したはずなのにそうしなかったというのも事実だし、もっと効率よくやればよかったというのもそのとおり。
それが出来なかっただけなんですよね...。


何ていうか「自分はもっと仕事が出来るはずなんだ」っていう自負と「でも何でこんなことも出来ないんだろう...」っていう劣等感に挟まれてしまって結構参ってしまっていたんですよね。
理想と現実といってしまうと何だか安っぽいなあと思うんですがでもそんな感じでした。


で、まあ、そういうときにそばに一人助けてくれたというか、この話でいう藤田さんみたいな人がわたしのそばにいて日々いろいろなことで助けてもらったというわけなのです。
最初はトラブルで困り果ててるときに「何か困ってることあるの?」と助け舟を出してくれたのがきっかけだったと思うのですが、気付けば自分の担当システムの相談もできるくらいに頼るようになったのです。
それまでは誰にもなるべく頼らず*3自分だけですべてを片付けることをよしとしていたのですが、一度頼れる人が出来ると何かと頼ってしまうようになり、わたしは日常的に相談にのってもらったり、逆に相談されたりということを繰り返すようになりました。
仕事の大変さというものはさほど変わりませんでしたが、でもいつの間にか日常的に感じていたストレスは消えてなくなり、代わりに出てきたのは現状を改善しようという前向きな気持ちでした。それまでは自分の能力を上げて何とか仕事をたくさんこなせるように頑張ろうという程度のことしか考えつかなかったのですが、そういう近視眼的な対処ではなく、どうすればこの状況を改善出来るのかということにも目が向くようになったのです。


こんなふうに変われた要因を考えてみると、気持ちに余裕が出来たことが大きいんじゃないかなと思います。
何でもそうですが、何かに追われている状況ってやっぱりダメですね。余裕がないとすべてが後手後手にまわってしまって、目の前のことをこなすだけに終始してしまいます。余裕をもつが大事だということはこの経験をとおして改めて実感しました。


わたしが思うに、程度の差はあるでしょうが労働者から見ればどんな会社だってブラックな面というのは必ずあると思うし、人間関係で悩まずに済むなんてこともないはずです。これはどうしたってすぐにはなくならない問題です。
もちろん、わたしはブラック会社を肯定する気はありませんし、ましてこの作品に出てくるような労働環境を正しいものとは思ってもいません。けれども、これはあまり自信がありませんが、この作品も実際にはブラック会社を肯定しているわけではないような気がしています。
この作品が伝えたかったことは一体何なのか、そもそもそんな伝えたいことなどあったのかは分かりませんが、でもわたしの過去の経験を加味して全体を俯瞰したときに私がこの作品からかんじたことは「多少大変なことがあっても藤田さんのような理解者がいれば何とかなる」ということでした*4。特に入社したてのひよっこ時代に理解して支えてくれる人がいるかどうかというのはすごく大事なことだし、そういう意味ではOJTのトレーナーがどういう人かというのはすごく影響するよなあとかんじたのでした。


原作に思い入れのある人にはお奨めです。


(リンク)


公式サイトはこちら

*1:今は年間労働時間が大体1800時間くらいですが、当時は年間2500時間以上は余裕で超えていました。

*2:これは環境がいいとか悪いというよりもわたしのトラブル解決能力やコミュニケーション能力量が不足していたことが原因です

*3:実際にはいろいろとサポートしてもらったりしていたとは思いますけど...

*4:結局藤田さんは最後には辞めてしまうわけで、そこんとこはどうなの?と言われてしまうと口笛を吹きながらどこかに消えてしまいたくなるのでぜひ聞かないで欲しいです