「スティング」見たよ

1936年のシカゴを舞台に詐欺で日銭を稼ぐ1人の若者が、親同然の師匠を殺害したギャングに復讐するために伝説的な賭博師と協力し、得意のイカサマで相手組織を徐々に追い詰めていく様を軽快に描いたコメディ映画。

スティング (映画) - Wikipedia

TOHOシネマズ宇都宮にて。午前十時の映画祭にて鑑賞(21本目)。
いろいろと驚かされる作品は観てきたけれど、これはその中でも目立ってすごい作品です。
冒頭から繰り広げられる命を賭した復讐がラストで見事果たされるのかどうか。そのドキドキ感は観ているわたしを作品の中に引きずり込んでくれて本当に楽しかったし、さらにこの作品ほど見終えた後にすっきりと出来る作品はそうそうないのではないかというくらいの爽快感で満たされたわたしは、満足の面持ちで映画館を後にしました。


この作品を観ていて感じたのは「なぜ人は他人を信用してしまうのか」ということ。
どういうことかというと、この作品は仲間を殺したギャングへ復讐するため、そのギャングをだましてお金を奪ってやろうと画策するというお話なのですが、冷静に考えるとどうしてこのギャングはこうも簡単にだまされてしまったのだろうと思ってしまうのです。仮にもギャングというのは他人からお金をむしり取ったり、だまして搾り取るプロなわけですからこんなに簡単にだまされるのはどうしてだろう?と思ったわけです。いろいろと考えてみた結論としては、これにはちゃんとした理由があるんじゃないかという思いに至ったのです。
その理由というのは「人間は他者を信じたいと思っている」ということ。
これを正確に表現することは正直とてもむずかしいのですが、社会に関わって生きていく上で他人を信用し過ぎることは大きなデメリットとなるとわたしは考えていますし、「詐欺」という行為が世の中からなくならないことからも誰かを信用しし過ぎることはよくないことだというのは不変の真実であると言えると思います。
つまりだまされたくないのであれば他人なんかまったく信用しないと決めてしまえばそれで済む話なのですが、残念ながらまったく他人を信じずに生きていくことは不可能です。生きていく上で必要なものは他者から手に入れなければならないのです。
さらにそういった「必要に駆られて」という部分だけではなく、そもそも人は他人を信じたいと思っているとわたしは感じているのです。他者のことを信じてその人の考えや行動を承認したい、理解したいと思う一面は誰にでもあることだと思うんですよね。誰を信じたいと思うのかはもちろんバラバラですが、誰かを信じたい、理解したいという欲求は誰にでもあるんじゃないかなと。


この作品で言えば「お金を儲けたい」という気持ちを逆手に取られてこのギャングはだまされたわけですが、それだけではなくて自分が観て信用できると思った男を信じたいとこのギャングは思ったはずなんですよ。こいつは信用に値すると感じてそれを信じたいと思ったからこそ信じたわけで、結局はだまされるべくしてだまされたと言えるんですよね、これって。


先天的に人は他人を信じたいと思う気持ちがあるんじゃないかというのがこの作品を観終えて感じたことでした。
おもしろかったし、超傑作!