30歳の自分


先日久しぶりに頭に浮かんできた言葉で最近頭から離れない言葉があります。それは「思えば遠くへ来たもんだ」という言葉です。
この「思えば遠くへ来たもんだ」というのは私の父がものすごく好きな映画のタイトルでして、父はよくこのビデオを借りてきては深夜にひとりで観ていました。こそこそ夜中に観ているのでてっきりアレな作品だと勘違いしてしまいましたが普通の邦画でびっくりしました。びっくりというかがっかりかな。
作品の内容はというと武田鉄也が九州から秋田へ赴任してきた教師として活躍するという、いかにも武田鉄也主演らしい作品でして内容についてはそれ以上特筆すべき点はありません。
普段、父はあまり映画を観ない人だったのですが、秋田という土地を舞台*1にしていることが気に入ったのか、それとも出ている人が好きだったとか他に気に入る要素があったのかどうか分かりませんが、月に一度くらいのペースでこのビデオを借りてきては夜中にひとりで観ていました。わたしも一度だけ父と一緒に観たことがあるのですが、小学生の私でも楽しめたので結構間口の広い秀作なのではないかと思いますが、20年も前の話なのでそこは断言せずにぼんやりさせておきます。


で、ここまで書いておいてなんですが、この映画の話はどうでもいい話です。父の話とか完全に余談なので本筋とは関係ありません。
何となく書きたくなったので書いただけです。ごめんなさい。


この言葉が頭の中に頻出するようになったのは、30代も2年目を迎えたのだということに気付いてからでした。わたしが10代の頃に思い描いていた30代の人を思い浮かべて今の自分自身と比較した時に、その間にあるあまりに大きなギャップにひとしきり驚いて、そしてその後悶えてしまいました。やっていることや考えていることなんて10代の頃にやってたこととほとんど変わらないか、もしくはそれの延長上にあるようなことばかりですし、メンタリティなんか10代の頃のままです。もう驚くくらい何も成長していないのに、でも実年齢は31歳という現実を向き合うと、ぶっちゃけどういう言葉を発して自分をなぐさめていいのか分からなくなってしまいます...。


なんて話をとある人としていたら、「理想と現実のギャップを洗い出してそれを埋める努力をすればいいじゃない」と言われて、なるほどねなんて思ったのですがこれまた結構難しい。一般的な30代の理想像であれば何となく思いつくものの、30代の自分として重ねられる理想像というのがまったく思いつかないのです。
とすると、「こうなりたい」という具体的な答えがあるわけではないのに、でも今の自分にものすごく不足を感じるというのは何だか矛盾しているような気もします。でも自分自身が感じているこの不足感はどうにか埋めたくてしょうがないのも事実なのです。


20代の頃って年齢相応に成長するのって当たり前のことだと思っていましたが、案外そうでもないことにいまさらへこまされている毎日です。

*1:とは言っても角館なので住んでいる場所からは結構離れています