中東系カナダ人女性ナワル・マルワンは、実子である双子の姉弟ジャンヌとシモンにも心を開かず、ずっと世間に背を向けるように生きてきた。そんな母親は、なぞめいた遺言と二通の手紙を残してこの世を去る。その二通の手紙には、ジャンヌとシモンが存在すら知られていなかった兄と父親に宛てられていた。初めて母の祖国の地を踏んだ姉弟は、母の数奇な人生と家族の宿命を探り当てていく――。
『灼熱の魂』作品情報 | cinemacafe.net
宇都宮ヒカリ座で観てきました。
母親の残した遺言によって、過酷な現実と向き合うことになった双子の姿を描いた作品でしたが、これはもう文句なしにすばらしかったです。決して明るい話ではないですし、観終えて爽快!という作品ではけしてないのですが、思わず「おおおおおおおお」と叫びたくなるような有無を言わせないパワフルな展開には心底圧倒されました。
信じられないような悲劇的な展開に思わず目を背けたくなる一方で、でもこの異常な物語の行きつく先を見届けたくて一瞬たりとも目が離せないくらいおもしろいと感じたのです。こんなにも辛くて切ない話を「おもしろい!」と身を乗り出しながら観ようとしてしまう自分という人間の下衆さ加減にはちょっと嫌気がさしてしまいました。
でもほんとものすごくおもしろかったのよ...。
すばらしいという言葉しか出てこない珠玉のミステリーでした*1。
さて。
本作は小さく細切れになった過去と現在が交互に描かれるという形式で進んでいきますが、ここがとても巧妙でうまいなと感じました。ここで描かれる過去は母ナワルが送った壮絶な人生の一部であり、現在はその亡き母からの依頼で母の過去に迫ろうとする娘ジャンヌが描かれています。
ナワルとジャンヌ。
この二人の姿が時間軸の変化と共に交互に描かれるのですが、二人は親子というだけあって似ているのでシーンが変わった瞬間はいま映っているのはどちらなのか分からなくなることもあったのです。そして似ている二人の姿が交互に描かれているのを見ているうちに、これは生命が生をつなげていく様子を暗に示しているような気がしたのです。
誰もがそうですが人は突然生まれてくるわけではなく、産み育ててくれた親がいてその親にも同じように産み育ててくれた親がいて、そうやって脈々と生がつなげられてきた結果としていま自分がここにいるわけです。だから「生きる」ということはただ自分自身の生を全うするだけでは十分ではなく、自分を形作っている過去のすべて次の世代に受け渡すことって実は大事なんじゃないかと最近考えることがありました。
そんなふうに考えると、ナワルは辛くて重い自分の過去をジャンヌたちのルーツも含めて伝えないといけないと考えたんじゃないかなと思うのです。そして仮にそうだったとして考えてみると、父と兄に手紙を渡さないうちは墓に名前を刻まなくていいというナワルの遺言はただのわがままではなく、実は彼女なりのけじめというか覚悟だったんじゃないかなという気がしたのでした。
以下、ネタバレありで続きます。
母のナワルが残したジャンヌとシモンへの遺言は、「いままでいるとは聞いたこともなかった兄を探して手紙を渡すこと」と「既に他界したはずの父に同じく手紙を渡すこと」でした。つまり母は子どもたちに兄と父を探せと遺したわけですが、最終的には「兄と父は同一人物である」という壮絶な事実が二人には突きつけられます。
もう少し具体的に説明すると、生まれてすぐに母親と話されたナワルの息子(ジャンヌとシモンの兄)はある施設に預けられるのですが、戦火にさらされて施設を追われたその子どもは殺しや拷問をする兵士として生き延び、そしてとある刑務所で母と知らずに出会ったナワルを拷問し、そして毎日犯し続けた結果、ジャンヌとシモンが生まれたのです。
まさにリアルマザーファッカーなお話わけですが、何ともひどい仕打ちとしか言いようがありません...。
こういった不幸を背負った人にかける言葉など何一つないということを思い知らされたのでした。
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*1:詳しくは後半のネタバレありのところで記載します