「ルビー・スパークス」見たよ


若くして天才作家としてもてはやされたカルヴィン(ポール・ダノ)だったが、いまではすっかり自信を失い、小説を書けずにいる。そこで、理想の女の子“ルビー・スパークス”の物語を書くことに。執筆に没頭していたある日、カルヴィンの前に自分が空想して作り上げていたルビー(ゾーイ・カザン)が現われた。それからルビーと過ごすカルヴィンの楽しい日々が始まる。彼女のことを愛しているカルヴィンは、関係を壊さないために、もう彼女のことは小説に書かないと決意するが――。

『ルビー・スパークス』作品情報 | cinemacafe.net

シネクイントで観てきました。


「朝、目が覚めたら好みの異性が自分のことを大好きになっていた」とか「大好きな人がじぶんといっしょに暮らしていた」というはしたない妄想は、誰もが一度は抱いたことのある普遍的な妄想ではないかと思います。「いやいや、そんな妄想したことないよ!」とか「そんな妄想するわけないじゃん...」なんていう高尚な方もひとまずその言葉をグッと飲み込んで読み進めていただきたいのですが、本作はまさにそういった妄想を具現化したような内容でした。

なかなか筆の進まない小説家が、何か書かなきゃと夢に出てきた理想の女の子を小説に書いたら現実にもその女の子があらわれて自分のことを好きになってくれたでござるというなんとも調子のいい展開で始まった本作でしたが、無から有を生み出す創作という行為のもつ力を大胆*1に表現したたいへんおもしろい話であり、かつ、理想のパートナーというのはどういう相手なのかという事に対する示唆を含んだとてもユニークな作品でした。

すっごいおもしろいかったです!

創作のもつ力について

夢にみたかわいい女の子が現実にあらわれる。

初めてあらすじを読んだとき、そして映画でカルヴィンの前にルビーがあらわれたとき、これはなんて夢のある話だろうと胸が高鳴るのを止めることはできませんでした。上でも書いたとおり、これは普遍的な妄想だと思うのですが、一方でこの作品のように夢に出てきた理想の異性が現実に現れて同棲し始めたという人はもちろんどこにもいません。いるわけないです。

これは当然フィクションであり、実現不可能な夢物語でしかないわけです。それはわたしもわかっています。

だけど、この作品はその夢物語が実現するところを見せてくれました。
小説に殴り書いた妄想が現実になる瞬間を、そして妄想が具現化したことに歓喜するもてない男の子の喜ぶ姿を見せてくれ、そしてその一連のシーンを観ながら思わず泣いてしまっている自分がいることに気付きました。すばらしいと心の底から感じました。


本人の中にある物語(==妄想)は何かにアウトプットしなければ誰にも知られることはありません。
その人の中に生まれ、その人の中で消えていきます。

だけど、その生まれた妄想を何か形になるものとしてアウトプットしたら、そのアウトプットを媒体としてその妄想を共有することができます。


その人の中にしかなかったものが現実の世界に形をもって配置されること。それが創造するということだと思います。


そして本作はその創造することがどれだけすごい行為なのかということを、やや大げさに、だけど真摯にほめたたえているように感じました。自分の中にある妄想はもしかしたらとても醜いものかも知れないけれど、でもアウトプットする勇気、他者に伝える勇気を全力で応援しているなと思いました。それがすごくうれしく感じました。


理想のパートナーって?

夫婦でも恋人でも友だちでもなんでもいいのですが、他者と一対の関係を築くうえで理想的な相手とはどういう相手なのでしょうか。
"理想"というだけあって人それぞれ願うところは違うのかも知れませんが、「すべてが自分の好みと一致していていうことをなんでも聞いてくれる人」がいいなと思ったことがある人はいるのではないでしょうか?


本作は「完全にコントロール可能な他者はもはや理想的なパートナーではない」ということを教えてくれます。

気に入らない態度を取り続けるルビーを変えるために、小説に手を加えたカルヴィン。その小説に書いたとおり、つまりカルヴィンがのぞむとおりの姿に次々と変わり続けるルビーを見てカルヴィンは耐えられなくなります。自分が好きだったルビーは自分の好みに合わせて思うように書き換えてしまったルビーではなく、手におえないところもあるけど理想の女性として最初に描いたルビーだったことに気付いたからなのです。そしてそのルビーはもう....。


自分の思うとおりに変えられる他者というのは既に他者ではなくて自らの一部と同じではないかとわたしは思います。
そしてそれはもうパートナーではないとも思うし、そのことがとても丁寧に描かれていました。



 ちなみにカルヴィンとルビーを演じた二人は、実生活でも付き合っているそうです。
映画を観る前にその情報を得てしまったわたしは「こいつら家でもこんなふうにしてるんじゃないか...」とか「プライベートの切り売り」というあまり作品の内容に関係ないことをいろいろと想像してしまいました。知らずに観たかったな....。

あと監督二人もご夫婦だそうでして、監督も主演も実生活でパートナーとして過ごす二人がそれぞれを務めているのはおもしろいなと思いましたし、お互いのことを知っているが故にやりにくいなんてことはなかったのかなとよけいな心配をしちゃいました。


そういえば本作の前半部分は上でも書いたように「もてない男の妄想」を具現化したようなお話なので、てっきり男性が脚本を書いているのかと思ったらなんとルビーを演じたゾーイ・カザンが書いているそうです。後半になればなるほどたしかに女性視点での恋愛の不満みたいなのが描かれていたなといまさら納得しちゃいましたが、あのかわいらしい容姿に加えて、こういうユニークな脚本を書けるそのマルチなタレントに嫉妬せずにはいられません。


きっとポール・ダノと二人でイチャイチャしながら書いたんだろうなあ...(妄想)


公式サイトはこちら

*1:悪くいえば大げさとも言えますが