「ツリー・オブ・ライフ」見たよ!


1950年代半ばの中央テキサスの小さな田舎町。幸せな結婚生活を送るオブライエン夫妻と、彼らの子供である3人の兄弟。父は、信仰に厚く、男が成功するためには“力”が必要だと考えている厳格な男。母は、自然を愛で、子供たちに対しては精一杯の愛情を注ぎこむ優しい女。だが、3人兄弟の長男ジャックの心は、そんな両親の狭間で常に葛藤していた。大人になって成功を手にしたジャックは、深い喪失感の中、自分の人生や生き方の根源となった、テキサスの小さな街で家族とともに過ごした少年時代に想いを馳せるのだが…。ラッド・ピットとショーン・ペンが共演で話題の父と子の物語。『天国の日々』、『シン・レッド・ライン』の名匠テレンス・マリックがメガホンを握る。

『ツリー・オブ・ライフ』作品情報 | cinemacafe.net

TOHOシネマズ宇都宮にて。


予告があまりにすばらしかったので超期待して観に行ったのですが、始まって早々に期待してた方向とはまったく違う作品であることに打ちのめされてしまい、しばし放心してしまいました。おっぱいだ!と喜んだらプリンだった...(どんなだ)的な騙された感すら漂ったのですが、でも観ているうちにこれはこれでまたまったく違う魅力をもった作品なんじゃないかと気付いたわたしは眠い目をこすりながら一生懸命に作品と向き合ってみたのです。
予告を観て想像していた話よりもかなり壮大なことになってしまいましたが、人が人として生きることやその意味について想いをはせながら楽しく鑑賞できました。とてもよい作品でした。


さて。話は少し変わりますが、数学の幾何学という分野には「フラクタル」という概念があります。
簡単に説明すると「複雑な形をいくら拡大しても元の形と同じようなパターンが現れる形」のことをフラクタルと呼んでいます。言葉だけだとイメージがつきにくいかも知れないのでこちらから図を拝借するとこんな感じのものをフラクタルと呼んでいるのです。


↑こんな感じで、ある図の一部を拡大するとまたまた複雑な図になるような図のことです。


そしてこのフラクタルのおもしろいところは、この考え方が単に概念的なものにとどまるのではなく、世の中にあるさまざまな事象の中にフラクタルを見つけることができる点です。

自然界には、植物や地形などを探せば、たくさんのフラクタル例が見つかります。植物の先端の芽から次々と同じような形をした小さな枝と葉が、無限に連なっていくように生成されていきます。このような自己相似形の無限連鎖が、フラクタルです。

フラクタル - 自己相似形とべき乗則 (1/3) - ITmedia エンタープライズ

上で紹介した記事でも書かれていますが、フラクタルを提唱したマンデルブロは「シカゴ商業取引所での綿花価格の相場の変動グラフが、分単位、時間単位あるいは年単位など時間の取り方のスケールを変えても、グラフの時間軸の幅を同じにすれば同様のパターンになること」に着想を得てフラクタルという考え方を見つけ出したわけでして、頭のいい人は抽象化がうまいなと感心させられてしまいます。


ひととおりフラクタルについての説明が終わったので話を作品の感想に戻しますが、わたしが本作を観て感じたのはこの世界のフラクタル的構造とその美しさでした。


宇宙と人間。
その規模は大きく違いますが、宇宙が内包する複雑さは我々が外的・内面にもつ複雑さとよく似ているようにも見えますし、我々の日常にあふれている美しさは宇宙のもつ壮大な美しさとよく似ているようにも感じられます。言い換えると宇宙全体を俯瞰して見える構図とだれかの人生を俯瞰して見えてくる構図が相似関係にある、つまり、宇宙の自己相似として人間があるというのは言い過ぎでしょうか?
本作を観たわたしに言わせれば、それは決して言い過ぎとは思えません。
そういう視点を選んでみると、図らずも本作のタイトルが「ツリー・オブ・ライフ」となっているのは、「木全体と枝葉が自己相似形にあること」と「生命やそれをとりまくすべてが自己相似形にあること」の相似を表しているんじゃないかという気がしてきます。


ちょっと観念的な話で、しかもちょっと怪しげな方向に話が進んでしまったのでこれ以上踏み込むのは躊躇してしまうのですが、では人間の一生は果たして宇宙と同じく「ただ存在しただけ」で過ぎ去ってしまっていいのか?というのがこの作品が最終的に言いたかったことなのかな?と思います。


「あなたに愛がなければ、人生は瞬く間に過ぎてゆく」なんてなかなかしらふでは言えないような言葉ですが、その言葉を自分なりにそしゃく出来た時に「あー、いい作品だな」と心から思ったのでした。


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