4ヶ月、3週と2日


1987年、チャウシェスク大統領による独裁政権末期のルーマニアを舞台に、望まない妊娠をしたルームメイトの違法中絶を手助けする女子学生の一日を描く。第60回カンヌ映画国際祭にてパルム・ドール受賞。

『4ヶ月、3週と2日』作品情報 | cinemacafe.net

新文芸坐にて。


寮で同部屋の女の子の堕胎手術に付き合った女の子の身に起こった悲惨な出来事を描いた作品。観ているだけで息苦しいし精神的に追い詰められる苦々しい作品でした。この作品と同様に学生の妊娠を扱った「JUNO」がコメディのノリだったのに対して、堕胎が違法である時代の出来事を徹底してリアルに描いていて、望まない妊娠と違法行為という枷をこれ以上ないほど現実的に描写している点に息苦しさを感じました。
すごい作品だと思いますが、とても苦手だなー、こういう作品...。


これほどつらい思い出ではありませんが、わたしにも思い出すには苦々し過ぎる1日があります。


それは私がまだ院生だったある日のことです。
車の免許をとったばかりのわたしはどこかに遠出がしたくなり、レンタカーでマコ*1と一緒にうちの実家に帰ることにしました。
当時わたしは山形市に住んでいたのですが、うちの実家のある秋田県男鹿市まで約240km弱くらいあり、運転していくにはかなりのロングドライブとなります。普通に走ったとして約4時間というところでしょうか。さすがに遠いな...と思ったのですが、何とかなるだろうととりあえず目的地を実家に決めました。


遠出当日。
予約してあったレンタカーを朝早くに取りに行き、その足でマコと2人で秋田に向かって北上を開始しました。
山形市から男鹿市へ行くには大きく2つのルートがありました*2


ひとつは月山の脇を通って酒田方面へ抜け、そのまま北上するルートです。
こちらは後半海沿いを走るのでとても好きなルートなのですが、前半の月山あたりの山道がチョー怖くて、こんなところで落ちてしまったら即死だよ...と思わずにはいられないアドベンチャーコースです。




もうひとつは新庄から横手へ抜けるように北上をするコースです。
こちらは山道ばかりで面白みゼロですが、道が混み合うことも少なく、また、危ない印象を受ける道路は一切ありません。まさにビギナーコース。



とりあえず最初だしビギナーコースを行こう、と自らのドライビングテクニックを過剰評価することなく無難な道を選びました。
そのため、出発してしばらくは国道13号線を道なりに北上を続けました。朝早かったので道が混んでいるわけでもなく、比較的広くて走りやすい道でとても気持ちよく走ることが出来たのですが、その順調すぎるドライブで平坦な道のりに飽きてしまった私は、図に乗って新庄からアドベンチャーコースに乗り換えることにしてしまったのです。


しばらくアドベンチャーコースを進んでいくと、朝日村バンジージャンプという看板を見つけました。
調べてみたらどうやら今はもうバンジーはやっていないようだし、そもそも朝日村自体が鶴岡市に吸収合併されてなくなってしまっているようですが、当時(いまから6年ほど前)は朝日村というところの大きなつり橋の上でバンジージャンプが出来たのです。いまもそうだと思いますが、バンジージャンプが出来る場所などそうそうあるものではありませんので、とりあえずちょっと見ていこうという話になって立ち寄ることにしました。時間はそろそろお昼かなというくらいでした。
高所恐怖症のわたしは、「せっかく来たんだから飛んでやろう」とかそんなことは考えわけもなく、時折聞こえる飛び降りた人のおたけびと周囲の歓声にどきどきしながらぐるりと会場付近を見て回りました。つり橋の上は行きかう人で混んでいて、見に来る人って意外に多いんだなーと感心してしまいました。


さて。
このバンジー会場の一番奥には、山肌というか岩盤を掘って作ったと思われる休憩所がありました。レストランと座る場所がある程度のところなのですが、トイレに行きたかったし、ここでマコといったん離れてそれぞれ歩き回ることにしました。
すぐにトイレから戻ったのですが、マコが見当たらなかったので、いかにも岩をくりぬいて作ったという感じのあたりを見ながらそのあたりを歩いてみました。これはすごいなーなどと思いながら、ふと外側を見るとマコが歩いているのが見えたので、走り寄ろうとしたときに事件は起きてしまいました。


ガシャン...


走っていた私の目の前に見えない壁があり、それに激突したのです。最初は何が何だか分からなかったのですが、よく見てみると大きなガラスがあることにその時初めて気付きました。私の衝突で私の背丈よりもはるかに大きなガラスにひびが入り、そして私の顔や足には割れたガラスで切れた傷が出来て血が出ている有様でした。
周囲にいた人たちは唖然としながらも、血を止めるのに使ってとティッシュを渡してくれたり、大丈夫?と声をかけていただきました。あれだけ血が出ていたのだから痛いはずなのですが、そんな事よりもとにかくこの状況が恥ずかしくて恥ずかしくてすぐにでもその場を去りたくてしょうがないほどでして、痛みなんて全然感じませんでした。どうしていいのか途方にくれて近くにあった椅子に座っている間にも人は集まってくるし、もう泣きたいどころの話ではありませんでした。
その後、駆けつけてくれたスタッフの方に最寄りの医療機関*3へ連れて行っていただいて、そこで手当を受けました。深い傷があったり、ガラスの破片が傷口に侵入したりすることはなかったので縫ったり手術などという事態にはなりませんでしたが、気分が落ち着いてくるにつれて徐々に恥ずかしさも消え、それに伴って激しい痛みも感じ始めました。もう何であんなことになったのかと泣きたい出来事でした*4


もう何でこの話をしているのか分からなくなってきたのですが、これは私が覚えている限りで一番恥ずかしかった出来事です。あの日の朝はこれから出かけるという興奮を感じている以外は本当に普通の朝でした。まさにこの作品の冒頭のようにいつもと変わらない穏やかな朝だったことははっきりと覚えています。
もしこんな出来事がなければ絶対に覚えていないような、いつもと変わらない朝でした。あまりに非日常的だったこの日だからこそ、日常的だった朝がはっきりと記憶に残っています。
きっとどんな1日であっても朝の様子などいつも大差ないのだろうし、だからこそこういう何気ない朝の描写、そして平凡な朝がここまで普通に描かれている様子に「この作品は現実にあったことを描いているのだ」といわんばかりのいやらしい自己主張を感じてしまいます。


とてもインパクトのある作品だということは認めますが、でもどうしても好きになれない作品でした。


公式サイトはこちら

*1:今の嫁

*2:運転なんて不慣れなので道路などまったく知りませんでしたが、秋田と山形間は私は父の運転で何度か往復したことがあったので初めて運転する時にはすでにどちらのルートも知っていました

*3:その日は土曜日だったので病院は空いておらず、鶴岡市にある休日夜間診療所に連れて行っていただきました

*4:後日談ですが、一応この時に壊したガラスは保険で直しますということで特にお金を払ったりはしませんでした。絶壁にあるので、強風などで割れることもあるので問題ないと言っていただいて安心しました。あれだけ大きなガラスを弁償するのは学生の身としては厳しかったので、壊してしまって申し訳ないと思いながら、その言葉に甘えさせていただきました。結局菓子折を送付してそれっきりでしたが、今となっては一度はあそこでバンジーしておくべきだったなと思うわけです