「サイド・エフェクト」見たよ


精神科医のバンクスはなかなか症状のよくならない患者・エミリーに新薬を投与し始める。みるみる症状が回復するが、副作用として夢遊病に悩まされるようになる。ある日遂に、無意識状態のまま、エミリーが殺人を犯してしまう。果たして、裁かれるのは主治医・バンクスか、エミリーか。バンクは一夜にして社会的地位を失い、家族も離れていってしまう。しかし、これはほんの始まりに過ぎなかった。新薬を薦めたジョイ、新薬を飲みたがる患者、被害者の母、それぞれの思惑が拮抗する中、バンクスは自らの名誉のため真相を究明していく――。

『サイド・エフェクト』作品情報 | cinemacafe.net


(注意) 本エントリーは作品の内容や結末に関する情報が書いてあるので、未見の方はご注意ください。



TOHOシネマズ宇都宮で観てきました。


前半はひたすらモヤモヤさせられたあげく、中盤もずっとイライラさせられて鬱々とした気分になるものの、後半はすべてが丸くおさまってスッキリするというとても強烈な印象を残す作品でした。これはかなりおもしろかったです。


本作は、ある事故をきっかけに精神科医バンクスの患者になった女性エミリーが処方された薬の副作用で夢遊病のようになってしまうようになり、結果なんと夫を殺してしまうというところから大きく物語は動き出します。バンクスは「殺した本人が悪いに決まっている」と当たり前のように思っていたのですが、いつの間にか「医師から処方された薬のせいなんだからバンクスが悪い」という意見も出てきたためにバンクスの立場がどんどん危うくなっていくところがまずすごく怖いんです。


作中ではエミリーが何かしらの意図をもってこの状況を作り出した、つまり自分が殺人を犯してもバンクスにその罪の一部をなすりつけることができるように工作していたことがうかがい知ることができます。ですが当然それは映画という枠を通して観ている人にしか分からないことであって、作品の中では誰もエミリーに悪意があったことを知ることさえ出来ないのです。

いまさらあらためて書くほどのことでもないのですが、自分自身の無実を自分が証明することはとてもむずかしいです。
自らの無実を示すためには客観的な事実、つまりその罪を犯すことができない状況にあったことを他人の口から証明してもらう必要がありますし、その証明に本人の供述はまったく役に立ちません。なぜなら罪から逃れたい一心でついた嘘である可能性が大きいとみなされるからです。

これを突き詰めて考えると、結局自分という人間を他者に信用してもらうために自分自身ががんばるだけでは絶対にダメで、信頼ある他者に「この人は信用できるよ」と証明してもらう必要があるわけです。

そしてこれってつまりはPKIなどで使われている認証基盤の仕組みそのものであることを考えると、他者から信頼されるということは既に信頼されている人に信頼を担保してもらうしかないとも言えるわけです。


この「その人が信頼できるかどうかは、信頼できる人から信頼されているかどうか」という話をもっと深堀すると、最終的な信頼の起点であるトラストアンカーとはいったい誰になるのか?というところでいつもよくわからなくなって考えるのを止めてしまうし、今回もこの作品を観ながらいろいろと考えてはみたもののこれといった答えは見つかりませんでした。


誰かの信頼を得るということ自体はすごく日常的にあるありふれた話なんですが、ちゃんと考えてみるとなかなか厄介なんですよね...。
そんな自分自身の立ち位置を示すことのむずかしさを改めて実感できたところがとてもよかったです。


と、作品自体は非常によかったのですが、この作品一番の収穫はルーニー・マーラ

リスベットの印象が強すぎて忘れてたけど、ルーニー・マーラってあんなにきれいだったんだなあとあらためて感心しちゃいました。ほんとびっくりするくらいかわいらしいかわいらしかったし、そしてそのかわいらしさの中にちゃんと腹黒さも感じさせてくれて彼女の女優としての魅力を再度確認することができました。



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