「塔の上のラプンツェル」見たよ


深い森に囲まれた高い塔の上に暮らすラプンツェル。自由自在に操れる驚くほど長い髪を持つ彼女は、これまで18年間も塔の外に出たことがなかった。お尋ね者の大泥棒・フリンが追手を逃れて塔に侵入し、ラプンツェルの魔法の髪に捕えられてしまう。だが、この偶然の出会いは、ラプンツェルの隠された秘密を解き明かす冒険の始まりだった――。ディズニーが贈る、“髪長姫”としても知られるグリム童話のヒロイン、ラプンツェルを主人公にしたアドベンチャー・ムービー。

『塔の上のラプンツェル』作品情報 | cinemacafe.net

MOVIX宇都宮にて。3D版にて鑑賞。


今まで何十本と3D映画を観てきましたが、本作はその中でも抜きん出た3D映像を提供してくれる作品でした。
よくある「せっかくなので3D映画にしてみました」的な理由から作られた違和感というか、やっつけ感が一切感じられないだけでもすばらしいのに、観ている我々の世界に溶け込むくらいにナチュラルな3D映像が生み出す臨場感はとても美しく、あたかもその場に居合わせているかのような気分に終始浸りながら鑑賞しました。特に湖のシーンの美しさは過去に観たアニメーションの中でも指折りの素晴らしさでして、死ぬ前にこのシーンを観れたことに心から感謝したくなるほど心を奪われました。
わたしは「物体を直接見るのではなく水面に映して見せる」という演出がすごく好きなのですが、このシーンはそんな嗜好をもつわたしを100%満たしてくれましたし、きっとそういう嗜好をもっていない人もこのシーンを観ればその魅力をわかってくれるだろうと思います。
もうね、全身震えるくらいよかった。会えなくて震える西野カナや、寒さに震えるバンビのようにプルプル震えてしまいました。


さて。本作は無駄のないストーリーを完璧に計算しつくされ演出で彩るという「無駄も隙もない一切ない作品」ですし、それは大変すばらしいと思うのですが、観終わってから作品を振り返ってみた時に、本作が醸し出す不思議な魅力の源泉はそこではないような気がしていました。そういう作り上げられた完璧なものに感じる引力ではなく、どこか危ういものを見た時に感じる魅力みたいな感じ。
それはいったい何なのか?と考えてみたのですが、ラプンツェルのキャラクターそのものに惹かれていたんじゃないかという気がしてきたのです。


以前、恩田陸さんの「黄昏の百合の骨」という本を読んだ時の感想にこんなことを書いたことがあります。


黄昏の百合の骨 (講談社文庫)

黄昏の百合の骨 (講談社文庫)

これは一例に過ぎないのですが、つまりは完全な対称性をもつものよりも、非対称な部分をもつものに惹かれる感覚というのは意外に一般的な感覚として人には身についているのではないかと推測出来ます。そしてその非対称さの大きい「少女」という存在には言葉には表しがたい不思議な存在感が生じるとも考えられるのです。

黄昏の百合の骨 - 子持ちししゃもといっしょ

幼い頃に魔女にさらわれて以降、ラプンツェルは魔女によって外界の情報から一切隔離されて育てられます。
成長するにあたってモデルケースになるような大人がまったくいなかったために、外観は美しく成長して18歳という年齢相応に成長したにも関わらず、行動や発言は幼い子どものように無垢で無邪気で怖いモノ知らずのままなのです。
このアンバランスさ(上で抜粋した感想の言葉を借りれば非対称性)がラプンツェルに対して感じた言葉にしがたい魅力の源泉のような気がします。「見た目は大人、頭脳は子ども」というのはいささかイケてない感じがしますが、これをあのかわいいラプンツェルに適用すると魅力へと昇華されるのですから不思議なものです。


スタンダードなプリンセスストーリーでありながら、素敵な3D映像と秀逸な人物描写によって傑作として語られたすばらしい作品でした。
出来ればもう一度観に行きたいくらいよかった!!


(関連リンク)


公式サイトはこちら