「砂漠」読んだよ

砂漠 (新潮文庫)

砂漠 (新潮文庫)

「大学の一年間なんてあっという間だ」入学、一人暮らし、新しい友人、麻雀、合コン…。学生生活を楽しむ五人の大学生が、社会という“砂漠”に囲まれた “オアシス”で超能力に遭遇し、不穏な犯罪者に翻弄され、まばたきする間に過ぎゆく日々を送っていく。パワーみなぎる、誰も知らない青春小説。

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いつからかわかりませんが、何かを心の底から信じるということがとても怖くて出来なくなりました。
どんなに信じていたものであってもいつか裏切られるかも知れないと思うとそれだけで完全に信用する気にはなれませんし、他者と関わる際には信じ過ぎて首ったけにならない程度の、つまりはほどほどな信頼関係に留めておくことが、後悔しないために必要なことだと思っていたのです。あと、宗教も盲信することがどれだけ周囲に迷惑をかけるのかということを嫌というほど見てきてたので絶対にかかわるまいと思って生きてきました。


こうやっていろんなものと適度な距離を置いておくのは自分の日常生活を破たんさせないための予防線の役割を担ってくれていたわけです。
そもそも、盲目的に何かを信じるということは自分の中の大事なものを他人に預けることだとわたしは思うのですが、そう考えるととても怖いことのように感じられるんですよね。裏切られることで預けてしまった自分自身の一部が同時に失われるとすれば、それはとても耐えがたい辛いことですし、そんなリスクを1%でも負うのが嫌なんですから他者には一切何も預けないという選択肢を取るしかないんですよね。


本作に限ったことではありませんが、伊坂さんの著書には「何かを強く信じる人」がよく出てきます。
本作でも西嶋というとにかく自らの信念を熱く語る人物が出てきますが、わたしはこういう「信じるものがある人」の存在を上述のような理由から何となく疎ましく感じる一方で、何も信じずに生きている自分の生き方が果たして正しいのかどうかとても不安をおぼえることがあります。他人から見て正しかろうか誤っていようが、自分が信じる確固たる何かをもっている人というのはそれこそ人を惹きつける何かがあると感じるのです。
「信じるものがある人」に対して、その人を鬱陶しく感じる場合と魅力を感じる場合のその間隙にある両者の差異はかなり紙一重だと思いますし、そのわずかな違いで受け取り方が変わってしまうこと自体はとても面白いと思いますが、正直そのわずかな違いの要素ってよくわかんないしそんなわけのわからない何かで相手の評価が一変してしまうことって結構怖いなーと思うわけです。
ただ、もしそばに西嶋のような奴がいたら、わたしももう少し違う性格だったかも知れないし、何かや誰かを信じることをもっと前向きになれたかも知れないなと思いながら読みました。


「いいことばかりではないけれど、でも振り返ってみればすべてがこれでよかった気がする」という点にすごく共感出来る青春モノでした。
すごくいい作品。