「風立ちぬ」見たよ

ひとりの青年技師“堀越二郎”の半生の物語。主人公のモデルとなったのは後に神話と化した零戦を設計した堀越二郎と、同時代を生きた文学者、堀辰雄。この2人の人生を融合させ、技師としての生き方や薄幸の少女・菜穂子との出会いなどを描く。

『風立ちぬ』作品情報 | cinemacafe.net


MOVIX宇都宮で観てきましたが期待していた以上の大傑作でした。

TOHOシネマズで4分間予告をさんざん観ていたので内容については十分把握していたつもりでしたが、まさかここまで感情を揺さぶられる作品だとは思ってもいませんでした。泣くほどグッときたシーンはひとつしかありませんでしたが、二郎や彼と同じ時代を生きていた人たちの姿はどのシーンを切り取ってもとても大変そうだけど力強く感じられて惹かれました。

地震に戦争と決して生きやすい時代ではなかったからこそ、そしていま以上に明るい未来が約束された時代ではなかったからこそ、自らが行うべきことを実直に見据えて過度に他者にしがみつかずに潔く生きていたんだろうなと思います。そのまっすぐさ、潔さにはひどく胸を打たれたし、それと同時にいまの自分のように腑抜けた生き方をしていることがとても恥ずかしく感じられました。



本作にはこの時代を生きた人たちの強さを示す部分がいくつかあったのですが、その中でももっとも効果的だと感じたのは「矛盾」にとらわれない強さでした。


現代においては論理的であることは正しいこととされていますし、わたしもそう思います。
論理的矛盾をもつ理屈を信用する人はいませんし、矛盾していることばかりをいう人のことは誰も信じません。


でもたとえ矛盾していることであっても、それが自分の信じることであればそれを貫こうとする人は強い人だと思います。
論理的な正しさよりも、自分の信じることや信じたいことを優先してそれを貫くのはある意味では狂気の沙汰とも言えます。でもわたしはそれができる人にすごくあこがれます。そもそも人が死に抗って生きようとすること自体が矛盾しているとも言えるのですから、矛盾していることを貫くことは褒められることではないかも知れませんがでも間違っているとも言い切れないんじゃないかと思ったのです。


このあたりはまだうまくまとまらないのですが、矛盾にとらわれずに自らの信念を貫くことって実はすごく大事なんじゃないかと思うようになりました。


あと冒頭で泣くほどグッときたシーンがひとつしかなかったと書きましたが、そのシーンは二郎と菜穂子が結婚するところです。

二人で離れに住まわせてくれと上司に頼むところから始まる一連のやり取りを見ているうちに、気付いたら涙がぼろぼろと出て止まらなくなっていました。結婚することそれ自体に感動したわけではないことはわかったものの、いったい自分はこのシーンのなににここまでぐらぐら心を揺らされているのだろうひたすら動揺しちゃったんですよね....。

その後の二人の生活やたどることになる結末、そしてこの時点ですでに二人には相応の覚悟があったであろうことを思えば、それを感じ取るなにかがあのシーンにはあったのだろうと思うのですが、しょうじき今となってはもうわからないです。でもあんなふうに気づいたら泣いていたというのはあまり無い経験だったのでちょっとびっくりしました。


とりあえず、客足が落ち着いたころにもう一回ゆっくりと作品と向き合う時間を取りたいなと思います。


と非常に作品にはよい印象を残したのですが、唯一残念だったのが二郎の声がひじょうにミスマッチだと感じた点です。
「ぼくとつでよい」という評価も見かけましたが、ぼくとつと呼ぶにはあまりに不自然だと感じたしのです。感情を込めない会話についてはさほど違和感はおぼえませんでしたが、ちょっと力が入ったコミュニケーションをとろうとするシーンでは一気に映画の中から現実に引き戻されてしまうように感じました。


これも演出だと言われてしまえば返す言葉はないのですが、作品そのものはすごく気に入っただけに、二郎の声を受け入れきることができなかったのがとても心残りです。でもまあこの作品については何度も何度も観るつもりだし、そのうちこの声でよかったと思える理由が見つかるような気がしています(希望的観測)。


公式サイトはこちら