「十二人の怒れる男」見たよ

父親殺しの罪に問われた少年の裁判で、陪審員が評決に達するまで一室で議論する様子を描く。

法廷に提出された証拠や証言は被告である少年に圧倒的に不利なものであり、陪審員の大半は少年の有罪を確信していた。全陪審員一致で有罪になると思われたところ、ただ一人、陪審員8番だけが少年の無罪を主張する。彼は他の陪審員たちに、固定観念に囚われずに証拠の疑わしい点を一つ一つ再検証することを要求する。

陪審員8番の熱意と理路整然とした推理によって、当初は少年の有罪を信じきっていた陪審員たちの心にも徐々にある変化が訪れる。

十二人の怒れる男 - Wikipedia

TOHOシネマズ宇都宮にて。午前十時の映画祭にて鑑賞(15本目)。
舞台化されたという話を聞いたり、大好きな作品として薦められたりしたことがあったのでも名前だけはかなり何度も聞いたことがあったのですが、やっと観ることが出来ました。先入観なしに客観的な判断を下すことがいかに難しいのかということがよくわかる非常にエキサイティングな作品でした。アクションではなく言葉のやり取りが主体となって事態がどんどん変わっていく様子には感心せずにはいられませんでしたし、ストーリー展開のよどみのなさにもう見入るしかありませんでした。


普段から客観的に物事を判断することをよしと考えているわたしは、仕事で何かを決めるときにはなるべく主観を入れないようにしてジャッジしています*1。ところが実際には主観を完全に排除することはまず出来なくて、第一印象だったり思い込みが必ずそこには入り込んでしまいます。あとでちゃんと見返してみれば主観丸出しなのは明らかなのですが、そのときは「これはすごく客観的な意見です(キリッ」と自信をもって言っちゃってたりするわけで自分のふがいなさというか、思い込みって自分でははずせないから思い込みなんだよなあ...なんてバカなことを考えたりするのです。
本作のとてもおもしろいと感じたところは、この採決を下す場に集まった12人のうちの11人はまさにわたしのような「自称客観的な人」であり、チンピラなんだから父親を殺しても何にもおかしくないし絶対やってるでしょという思い込みには気付かずに自らの正義を振るおうとしたところです。裁判での証言や物証を冷静に見定めることなく、第一印象や思い込みで少年を死刑に追いやろうするこの人たちの行為はまったく洒落にならないのですが、一方で自分がこの場にいたら果たして思い込みを思い込みと理解できたかどうかまったく自信がもてないのです。


そんな大勢が有罪は当然という空気のなかにありながら、一人で「有罪かどうか分からない」と主張し続け、客観的な事実を次々と並べて全員の意見を無罪(というか有罪とは言い切れないという方が正しいのでしょうが)へと導いた男性の強さにおどろかされました。
周囲に流されることなく、自らの疑問を大事にして信念を貫く姿はなかなかかっこよかったです。


この映画は陪審員制度の問題点をよく表しているといわれているそうですが、だから陪審員はダメだというのではなく、この映画に出てくる11人の男性のような過ちは犯してはならないという反面教師としてよりよい制度作りを関わる人たちが作り上げていくのがよいとわたしは思います。


ちなみに場面の変わらない舞台劇のような雰囲気から、3年前に観た「キサラギ」を思い出しました。
あれもすごく面白かったのですが、でもあれ以降同様の作品が出てこないっていうことは、やはりこの手の作品って撮るのが難しいんでしょうね。


(関連リンク)

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*1:プライベートは主観丸出しでおk