「失われた町」読んだよ

失われた町 (集英社文庫)

失われた町 (集英社文庫)

ある日、突然にひとつの町から住民が消失した―三十年ごとに起きるといわれる、町の「消滅」。不可解なこの現象は、悲しみを察知してさらにその範囲を広げていく。そのため、人々は悲しむことを禁じられ、失われた町の痕跡は国家によって抹消されていった…。残された者たちは何を想って「今」を生きるのか。消滅という理不尽な悲劇の中でも、決して失われることのない希望を描く傑作長編。

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昔、「俺の屍を越えてゆけ」というゲームがありました。

このゲームはまず前述の源太とお輪の子(初代当主)に名前を付け、天の声の言うままに最下層の神様と子供をつくることから始まる。

その後は好きな迷宮に行き、雑魚敵を倒すことで奉納点を手に入れ、(より多くの奉納点を必要とする)より強い神様と契ることで子をつくり、いつかは父の敵(かたき)朱点童子を倒し、一族にかけられた呪いを解こうというもの。1代や2代では目に見えて強くはならないが、累々と代を重ねてゆく事で徐々にではあるが、しかし確実に強くなっていくそのシステムから、ゲームアナリストの平林久和などは競走馬育成シミュレーションゲームの『ダービースタリオン』シリーズとの類似性を指摘している。また、とりわけインターネット上では本作を端的に形容する表現として『人間ダビスタ』という言葉が使用される事も珍しくない。

俺の屍を越えてゆけ - Wikipedia


自らの血族を徐々に強くしていくことで事態を打開していこうという斬新さが非常に受けたようで、発売当時にゲーム好きの知人2人からやってみるべきだとつよく勧められたことが記憶に残っています。その当時セガ派だったわたしはプレステを持っていなかったのでわたし自身はこのゲームをやっていないのですが、強い敵に立ち向かうために個人ではなく子孫を強くしていくという発想はたしかにおもしろいですし、何よりもリアリティがあると感じました。


よくあるRPGの流れは、どっかの村に生まれ育った勇者が旅を続けて強くなって悪い奴を退治するというのが一般的なのですが、ストーリーは特に違和感なく受け入れられるのですが、こういう話と知るたびにいつも考えてしまうことがありました。それは「仮にも悪いモンスターたちの頂点に君臨する立場のものがぽっと出の人間にやられてしまうくらい弱いのはいかがなものか」ということです。


どういうことなのか?ということがこれだけだと伝わらないと思いますので、スタンダードなRPGであるドラクエ1を例に説明したいと思います。


ご存知の方も多いでしょうが、ドラクエ1はひとりの勇者がさらわれた王女を探し出し、さらに魔物たちのトップに君臨する竜王を倒すことを目的としたゲームです。始まったときの勇者は一番弱いモンスターであるスライムとさえ死闘を繰り広げる有様ですが、レベルがひとつふたつとあがるにつれてもっとつよいモンスターとも互角に渡り合えるようになります。武器や防具もよりいいものをそろえるにしたがってさらにつよくなる勇者。
そしてあっという間に竜王と互角の力を手に入れた勇者は竜王を倒してしまうわけですが、旅立ってからこのときまで経過したゲームの中の時間を考えると、たぶん長くて一年、短い場合には3ヶ月も経っていないんじゃないかと思うわけです。当初へっぽこだった勇者が、その短期間を戦いに費やして手に入れた程度の力で魔王を倒せること自体がとても不自然に思えてならないのです。


たとえば。
旅立ち当時は20歳だった勇者は2ヶ月戦いに身を投じたらドラキーを倒せるようになって、20年後には何とかリカントを葬れるくらいに強くなったけど、そろそろ40歳で肉体も衰えてきたので幼い頃から鍛えた20歳の息子に装備一式を譲ったら息子は最初からてつのさそりくらいは倒せるくらい強くて...なんていう感じで、3世代約50年くらいかけて竜王を倒すくらいが現実的なんじゃないかなと思うわけです。
そのうち、勇者の孫とかその息子あたりで「おれ、竜王なんか倒したくない」とか言い出したりしたり、もしくは、どうしても息子が生まれなくて娘を勇者にしようとしたけどうまくいかなかったりして、結局そこで竜王討伐の夢が絶たれるなんてことがあってもいいんじゃないかと思うのです。なんて、中小企業の事業継承のお話みたいになってしまいましたが、もちろんそういった現実的な視点を排除し、プレイヤーがキャラクターの成長を楽しめるようになっているからこそゲームがおもしろいというのはたしかにあると思います。


なんて、こんなくだらないことを考えているのはわたしだけかと思っていたら、「もし勇者に竜王討伐を頼んだ王様がそもそも本気で悪を倒したいと思うならきっとこうなるんじゃないか?」っていう視点でおもしろい例があがっていたのでここで紹介しておきます(参考:王「本気で魔王倒す」勇者「えっ?」)
これすごく好き。


こういう観点からみると、「俺の屍を越えてゆけ」はとても現実的な視点を有しているというわたしの主張も少しは理解していただけると思います。


さて。話がそれてしまいましたが、本作は突如町が消滅してしまうという事実に立ち向かう人々の物語なのですが、これを読みながら消滅という目に見えない敵の大きさにただただ圧倒されてしまいました。
町が消えてしまう原因どころか、消滅に至る経緯すらまったくわからない状態からそれに立ち向かわねばならないという絶望的な状況。その消滅に抗うため、どのような経過を経て消滅するのかという現実の検証に始まり、なぜ消滅するのか、消滅は避けられないのかということを何十年もかけて地道に調査、研究、対策を行い、来るべき次の消滅に備える。
それは失われてしまった町を取り戻すためのものではなく、次の消滅を防いでこれ以上失われないための戦いであり、気が遠くなるような長い年月をかけた人類を存続させるための戦いなのです。
このように何世代もかけて戦うという表現が、戦う相手の強大さを意識させ、押し潰されそうな気持ちにさせられますし、その設定のうまさには感心させられました。


そして、世代を超えた戦いであるというバックボーンを支える各世代の登場人物の描写もとても丁寧で、読めば読むほど物語の世界に深みが出てくるのもとてもよかったです。


三崎さんの著書の中では一番好きな作品です。