「レスラー」見たよ


人気レスラーだったランディ(ミッキー・ローク)は、スーパーでアルバイトをしながら、かろうじてプロレスを続けていたが、ある日長年のステロイド使用が祟り、心臓発作を起こしてしまう。病院のベッドで目覚めたランディは、医者にリングに立つことを禁じられる。妻とは離婚し、一人娘のステファニー(エヴァン・レイチェル・ウッド)とも疎遠で、ひとりになってしまったランディ。せめて娘との関係だけは修復しようとするが、冷たくあしらわれ、さらに好意をもっていた顔なじみのストリッパー・キャシディ(マリサ・トメイ)にも振られてしまう…。ミッキー・ローク扮する中年の悲哀漂うプロレスラーの人生の光と影を見事に描いた人間ドラマ。第65回ヴェネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞した。

『レスラー』作品情報 | cinemacafe.net

TOHOシネマズ宇都宮にて。
この作品はとてもまともに観てられなかった。
歳を取って体が衰えようとも常に試合では全力を尽くしてしまうために体がボロボロになっていくランディ。彼は体中に傷や痣を作り続けた挙句、不摂生がたたったのか心臓を悪くしてしまいバイパスをとおすための開胸手術を余儀なくされてしまう有様。
さらに壊れ果ててしまったとも言える体にステロイドを与えて日焼けスプレーを当ててまでリングに立とうなど到底まともではないけれど、それでもリング外の日常の方がよほど痛いとランディはつぶやき、リングへと向かう。
さらに彼の痛々しさは肉体的なものだけではない。生活費に困ってトレーラーハウスの家賃を滞納するし、久しぶりにあった娘からは勘当を言い渡されてしまう。彼は生きていくことにも行き詰まってしまっていてもはや救いようのないところまで落ちてしまう。
正直、彼の生き様は見ているだけで苦しかった。


わたしはランディの日常を目にしながらも、そこに先日逝去したばかりの三沢選手の姿を重ねずにはいられなかった。
三沢選手がこれほど困窮した生活を送っていたとは思えないけれど、歳を重ねてなお自らの生きる場所にプロレスのリングを選んだというただ一つの共通点だけで、十分ランディは三沢選手と同じだと感じた。
三沢選手の方がもっと第一線でやってたという人もいるだろうし、ランディのようなロートルではないという人もいるだろう。
でもわたしにはランディは三沢選手にしか見えなかった。どちらもリングにいるときが一番輝いていたのだ。


この作品を観て泣かなかったといえば嘘になるけれど、感動したとかそういうのではなかった。でもその感情をうまくいい表す言葉が見つからなくて「いい映画だな」と思いながら帰途に着いた。
そして帰ってきてから「レスラー」の感想をまとめたブログをいくつか読んで、ふとある言葉を見てこれだという言葉があった。それは"ありがとう"という言葉だった。
そして私は映画を観て感じたのは、ランディへの、そして三沢選手への感謝の気持ちだったということに気付いた。


わたしは中学生の頃からプロレスが大好きだった。周りは新日派と全日派に分かれていたけれど、わたしは闘魂三銃士のいる新日も鶴田やハンセン、三沢のいる全日もどちらも好きだった。どれだけ殴らたり蹴られたり投げられたりしてもフォールをカウント2.9で返して立ち上がってくるプロレスラーの強さに憧れていた。あんなには強くなれないと思いながらも、あんなふうに強くなりたいとも思っていた。


人と人が戦い、流血し、時に体中に傷をつけあう様を見て楽しむなんてひどい悪趣味だと思う。とてもまともじゃないかも知れない。けれど、傷ついても傷ついても立ち上がって戦おうとするプロレスラーの姿にわたしは強烈に惹かれるし、わたしはその姿に憧れてしまう。
だからこそ、自らの身を傷つけながらも死の間際までリングに上がることを選び続けたプロレスラーには"ありがとう"という言葉を伝えたいと思う。



(参考)
神になった男の物語「レスラー」

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