書いた人は書くことで忘れ、読んだ人は読むことで覚える

とくにオチのある話ではないのですが、ふと思い出したので書いておきます。

友だちと話をしていたときに「そういえば前に言ってた○○の映画で△△のシーンだけどおれもあそこ好きだわー」という話になって「え?そんな話したことあったっけ?」と聞くと、「ブログに書いてあったよ」→「あー、なるほどね」なんていうやり取りを何度かすることがありました。


他にも「去年××に行ってたけどどこがよかった?」なんて聞かれて、「え?そんな話したことあったっけ?」と聞くと、「ブログに書いてあった(以下略) ということもよくあります。


そんなわたし自身が書いたことすら忘れているようなことでも、読んだ人が覚えてたりすることに驚くことが増えてきたのですが、でもよくよく考えてみればわたしも他の人の書いた文章って結構覚えていることが多かったりして案外他人の書いた文章って記憶に残るもんなんだなと思ったりしています。


私は日常の些細なことはtwitterに書いていますし、ふと思いついたことや映画を観た時に思ったことはブログに書いています。

その時その時の自分の体験や考えをスナップショットとして書き残しているのですが、たまに書いたものを読み返して驚くのはその多くを忘れてしまっているということです。もちろん骨子の部分は覚えているのですが、枝葉の部分になると途端に忘れちゃっているのです。


おそらく書いたことで「もう忘れていい」というフラグが立てられてしまい、自然に記憶から消去されていったのかなという気がしています。


そしてそんなふうに考えると、もし自分の体験や考えをいまよりもたくさんブログやtwitterに書き出したら、わたしはそれらすべて忘れてしまうかも知れないし、そしてそれを読んだ他の人は逆にそれを覚えてしまうこともあるんじゃないかなと思ったのです。

そしてそんなことを繰り返したときに、書いたことで過去の記憶を忘れてしまっている私と、その記録を読んで覚えてしまった他人では果たしてどちらが私らしいと言えるんだろうかと思ったのです。


4年くらい前に「ガチ☆ボーイ」という映画があったのですが、「一度寝てしまうとそれまでの記憶が無くなってしまう男性がプロレスに取り組む」という内容でした。寝てしまうと記憶が無くなるということは、寝る前の自分と起きてからの自分をつなぐよりどころがなくなるということに等しく、つまるところいまの自分。そんなわけで記憶と言うのは過去といまをつなぐ大事なものなんだなということをつよく印象づけられたわけですが、そう考えると記憶の有無というのは、その人がその人であることを示す大事な証左の一つとも言えるわけです。


そんな大事な記憶をあっさり外部委託しちゃっていいのかななんてことを、昨日ふと考えていました。


べ、別に「トータルリコール」の予告観て思いついたんじゃないからね!


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