グーグーだって猫である


吉祥寺に住む漫画家の麻子(小泉今日子)は、突然の愛猫サバの死をきっかけに漫画を描けない日々を過ごしていた。そこにやってきた猫のグーグーに、麻子は徐々に癒され、やがて新しい恋の訪れとともに新作のアイディアも浮かび、全てがうまく動き始める。だが、そんなある日彼女は突然の病の宣告を受ける。喪失感に囚われた彼女が感じたものとは…。吉祥寺に暮らす人間と動物たちの、生きる中での喜びと苦悩を描いた大島弓子の「グーグーだって猫である」を映画化。

『グーグーだって猫である』作品情報 | cinemacafe.net

TOHOシネマズ宇都宮にて。犬童監督+上野樹里の最新作。
漫画家の麻子と彼女を取り巻く人たち(+ネコ)の穏やかで暖かくて雲の上の国の出来事のようにフワフワとした不思議な印象を受ける作品。動物のいる生活のいい部分/辛い部分がとてもよく伝わってきたし、今まで「独身の人や老後を過ごす人たちがなぜペットを飼いたがる」ことについて「さみしい気持ちを紛らわせるため」なのだろうという程度に考えていたのですが、この作品を通してそんな表層的な理由ではなくて、もっと深い層に理由があるのではないかと考えてみました。


そこで思いついたのは、人は何かを支えることで生きる自信をもらえるのではないかということです。
ペットは単にさみしさを紛らわせるための存在ではなく、「この子のために自分がいなければいけない」という自身の存在に積極的な理由付けを持たせる意味があるのではないかと思うのです。
もちろん、そんな事を考えてはいなくて単純にかわいいから飼っているという人も多いのでしょうが、でもペットに服を着せたり、同じ食べ物をシェアして家族同様に扱っている人が多くいる現状を見ていると、意識/無意識はともかくとしてペットに自身の承認欲求をあずけている人は少なくないんじゃないかなと感じるのです。人間相手では満たされない部分を補う存在として、ペットはいなくてはならないものなのかも知れないと思います。


話が作品から脱線してしまったので戻しますが、この作品のよさは最初にも書いたとおりふわふわした世界観です。
死んでしまったサバが人間になって会いに来たりするわけですが、そういった非現実的なストーリーを素直に受け入れてその世界に入るこむことが出来たらこれほど面白い作品はないと思いますし、私はずっぽりはまってしまって楽しむことが出来ました。


[追記]
ちなみにネコ好き向けの映画みたいですが、それほどネコ重視でもありません。
パンダフルライフのように特定の動物好き向けではありませんのであしからず。


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