風邪と診断した医師はヤブ医者だったのかどうか

今日のお昼過ぎに俳優の今井さんが亡くなったというニュースが飛び交っていましたが、その中にこんな記事がありました。

218: パロスペシャル(千葉県)@\(^o^)/:2015/05/28(木) 12:17:03.26 id:Asjv5JQ00.net

腸の風邪って言ったヤブ医者晒せよ

http://2chmatomelog.hatenablog.com/entry/2015/05/28/153216


そういえば、記者会見でも風邪だと診断されてしばらくそのままにしていたら実はがんだったということを話されていました。ふざけるなと思ったという心境を吐露されていましたが、本当にそのとおりだと思います。実際のところ、その医師の診察が誤診だったのかどうなのかというのはわたしには何とも言えませんが、その今井さんの会見を聞きながら27年前に亡くなった父方の祖父のことを思い出したことを、上の記事を読んだことであらためて思い出しました。


祖父とは幼いころから同居していたのですが、とにかくアグレッシブでエネルギッシュな爺さんでした。

どのくらい元気なのかと言うと、半径100kmくらいであれば日帰りで自転車旅行もいとわないくらい元気でしたし、わたしが悪いことをすればハンマーや野球のボール(硬式)をもって追いかけてきて殴ろうとするくらい元気でした。

そんな元気の代名詞みたいだった祖父でしたが、あるときからご飯を頻繁にノドに詰まらせるようになり、そして微熱が続きました。

それでも日常生活にはさほど影響がなかったためにしばらくはとくに何もせずに毎日を過ごしていましたが、なかなか熱がさがらなかったために近くの病院に行って診察をしてもらったのです。診察結果がなんだったのかは詳しく教えてもらいませんでしたが、おそらく風邪薬と思われる薬を食後に飲んでいたのでたぶん風邪という診断だったんだろうなと思います。

その後も熱は下がらず、徐々にご飯も食べられなくなっていったためにもっと大きな病院へと行って検査を受けたところ、食道がんだと診断されました。初めて病院へ行ってからたしか3か月くらい経っていたと記憶しています。

当時はまだ小学3年生か4年生だったわたしには当然病名までは告げられませんでしたが、祖父が即日入院してすぐに大きな手術をすることになったことを知って相当重い病気であることは察していました。風邪だと言われていたのになんで急にそんな重い病気になってしまったんだろうとすごく不思議に思ったことはよくおぼえています。

そして12時間以上に及ぶ手術と半年間にわたる入院生活を経て祖父は亡くなりました。


その後、祖父のことを思い出すときにいつも考えるようになったのが「もし最初から大きな病院に行って検査していたら助かっていたんじゃないか」ということでした。3か月ものあいだ、効くはずもない風邪薬を飲んでがんが進行させていたその時間を取り戻せば、もしかしたら手術をして一命をとりとめていたんじゃないかと何度も何度も考えました。

なんでその医者は風邪だと言ったのか?

なんで食道がんだと分からなかったのか?

誤診じゃないのか?


何度もそんなことを考えました。

でもいまになって分かるのは、「病院に行けば病気かどうか必ずわかる」「医者なら病気かどうか見抜ける」というのは過剰な期待であって、いくら病院に行っても分からないものは分からないし、医師に見てもらっても病気かどうか分からないということです。


わたしは走るようになってからは足底筋膜炎だ貧血だと足しげく病院へと通うようになりましたが、こんなふうに病院に行くようになって「いくら検査しても原因が分からないものなんてたくさんある」ということを嫌というほど思い知りました。

レントゲンを撮ろうが血液検査をしようが体の中にカメラを突っ込んでのぞいてみようが分からないときは分からないんですよ。


まして微熱があるからと近くの内科に行って、「熱があるんです、体がだるいんです」と言ったところで、「え?がんかも知れませんね」なんて即言われるわけはないんです。「風邪かも知れないですね」とほぼ100%言われるに決まってます。ヒアリングした症状と風邪の症状が一致している以上、これだけで誤診だというのは言い過ぎです。


もしより正確に原因を調べたければ詳しい検査をしなければいけないのですが、そういった精緻な検査というのは得てして大きな代償を払わなければなりません。例えば内視鏡検査を受ける場合には苦しい思いをしてカメラを体内に入れなければなりませんし、それよりさらに詳しく調べるために開腹しようとなれば、しばらくは癒えることのない傷を抱える覚悟を持たなければなりません。

検査によって体はダメージを負います。
でも「そういった代償を払うこと」と「自らの命が危険に冒されているかどうかを確認すること」を天秤にかけ、代償・対価を払う覚悟がある人だけがより詳しい検査を受けることを選ぶわけです。ここはトレードオフであっていいとこどりは出来ません。


誰だってそんな大変な思いをしてまで検査を受けたくなんてありません。だから診察だけで済ませて投薬でなんとかしようとするのです。
でも重い病気かどうかを確認したい、どうしても調べたいと思うのであれば、そういった代償を払ってでも検査しなければならないし、それを受けるかどうか決めるのは診察した医師ではなく自分自身なんですよね。

祖父もどうせ風邪だろうとたかをくくっていたところもあるだろうしだから最初は近くの内科で済ませていたのでしょうが、体調の悪化が著しくてこれはどうもおかしいから調べなければと踏ん切りをつけたときにはもう遅かったんだろうなと。そう考えると誤診だなんだという話ではないんだなといまさら思ったわけです。


祖父を亡くしたときのことを思い出すと今井さんの無念さというか医師への恨みつらみはすごく分かるし、もし早めに分かっていればという気持ちはすごく理解です。そしてそれと同時に、これまでの自分自身の実体験をとおして考えると風邪だと判断した医師をヤブ医者だと責める気にもならないなとも思います。