名門音楽大学に入学したニーマン(マイルズ・テラー)はフレッチャー(J・K・シモンズ)のバンドにスカウトされる。 ここで成功すれば偉大な音楽家になるという野心は叶ったも同然。だが、待ち受けていたのは、天才を生み出すことに取りつかれたフレッチャーの常人には理解できない〈完璧〉を求める狂気のレッスンだった。浴びせられる罵声、仕掛けられる罠…。ニーマンの精神はじりじりと追い詰められていく。 恋人、家族、人生さえも投げ打ち、フレッチャーが目指す極みへと這い上がろうともがくニーマン。しかし…。
『セッション』作品情報 | cinemacafe.net
最近はほとんど映画を観れてなかったのですが、これはどうしても観たかったので仕事を無理やり切り上げて観てきました。
おもしろい!というよりも「なんかすごいもん観ちゃったな」という作品でして、すっきりはしませんでしたががんばって観に行ってよかったなとは思いました。
本作は音楽学校にかようニーマンが、そこの教授であるフレッチャーによって精神的に追い詰められていくというお話。
世の中にはこのフレッチャーのような「他人をコントロールすること」に生きがいを見出す人が少なからずいて、そういう人は常に自分のコントロール下における人を求めています。ボクサーがジャブで相手の強さをはかるように、言葉や威圧的な態度、さらに暴力を重ねることで相手がくみしやすく自分が扱える相手なのかどうかを確認し、気に入ればまるで洗脳をかけるようなプロセスを経て徹底的な主従関係を構築します。
こういうのって自分の意識だけではなかなか回避できないことなので、もしかしたら自分もこんなふうに誰かにコントロールされるんじゃないかと思うと心底ゾッとします。
そしてこの作品でもっとも圧倒されたのがラスト10分。
街で偶然再会したフレッチャーが改めてニーマンをバンドに誘うシーンがあるのですが、そこからの展開がもう鬼畜過ぎて観ているだけのわたしの心も折れそうになりました。フレッチャーのキチガイじみた仕返しを見たら「他人は変えられないというのは本当なんだな...」ということをあらためて思い知りましたし、不意に与えられた極限状態のストレスによってニーマンが一線を超える瞬間のおぞましさにゾクゾクしました。
これってある意味ではフレッチャーの指導がニーマンの才能を開花させたとも言えなくもないんでしょうが、でも実際のところは極度のプレッシャーによってニーマンの中にある一部が壊れただけでしかないんですよね。
密閉された物体に外部から強い圧力をかけてみるとわかりますが、その圧力による影響が最初に出るのはその物体でもっとももろい場所なんです。すべてのパーツに均等に圧力がかかっていると仮定すると、その圧力に耐えられずに最初に瓦解するのは一番耐久力のない場所であるというのは自然な帰結です。
ニーマンはフレッチャーからのプレッシャーにさらされることで彼の一番もろかった部分である「理性」を壊され、徐々に彼がもっていた独善的な部分が抑えきれなくなっていきます。結果として、そのことが彼に足りなかった自己主張の強さをもたらしてあの音楽にたどり着くことになるわけですから、才能が開花するきっかけというのは何がトリガーになるのかわからないものだなと思わずにはいられません。
@TOHOシネマズ宇都宮で鑑賞
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