「家路」見たよ


沢田次郎は福島県の小さな町に生まれた。農業を営んでいる実家は、兄の総一が継いでいる。次郎は高2のときにある事件の罪を被って、家を出た。それ以来故郷には帰っていない。総一は、亡くなった父親から田畑を受け継いで必死に家を守ってきた。しかし3月11日以来、家には帰ることが出来ず、狭い仮設住宅での母、妻、幼い娘との生活に希望の光を見いだすことが出来ないでいる。次郎は、誰も住めなくなった故郷の町に帰ることを決心し、再び故郷の土と共に生き始める――。

『家路』作品情報 | cinemacafe.net


人生は選択の連続だとよく言いますが、自身のことを振りかえってみてもたしかに毎日いろんなことを選択しながらそのときそのときを生きているなと思います。

大きな選択、小さな選択。

じつのところ選択肢そのものには特別なものなんてなくて誰もがほとんど同じような選択肢しかもっていなのですが、そのありふれた選択肢の中から選び取ったものを積み重ねていくとそれがいつしかその人らしさになります。つまり与えられた選択肢には個性は無いのですが、選び取ったものの積み重ねには個性が生まれるのだとわたしは信じています。

言い換えれば、多くの選択肢からあるものを選び取るセンスこそが個性でありその積分値がその人らしさだと言えます。


本作は20年前に東京へ出て行ったきり音沙汰がなく行方知らずだった男性が、震災後に原発で起きた事故による影響で住むことができなくなった故郷に帰ってきてそこで農業を営んで暮らすことを決意するというお話です。

この男性が住むことに決めたのは10代のころに出て行くまで住んでいた福島県のある村なのですが、原発から飛散してきた放射性物質が多くのこっているために村全体が避難区域に指定されています。そのため、住むことはもちろん農業を営むことも許されていません。そんな場所に住むなんてのは正気の沙汰ではないし、「放射線による健康への影響が大きいからまちがっている」と言われたらまったく返す言葉もありません。

でも彼は震災で誰もいなくなった村に身一つで帰り、農業をしながら自給自足で生きていこうと覚悟を決めるのです。


一般的にみて放射性物質が多く飛散してしまって誰も住めなくなったと言われるこの場所に住み着くことを間違った選択だという人もいるでしょうし正しい選択ではないという人もたくさんいるような気がします。そして、そこで農業を営むなんてのは内部被ばくを拡大させるようなものだからもってのほかだという意見が出ることも容易に想像できます。

そしてその意見の正しさは、それが与えられたゆいいつの答えであるかのように人々を錯覚させたりもするわけです。

けれど、そういった「正しい意見」も所詮は正しさに裏打ちされているというだけで数ある選択のうちのひとつでしかありません。それだけが正解というわけではないし、そもそも正解なんてこの世に存在しないのです。あるのは自身の信念で選び取った選択だけです。


だからどんなときでも世間一般で喧伝されている正しさだとか、周囲からの心無いアドバイスに負けずに自分が欲しいと思う選択肢を手に取るべきだし、この作品を観ていたらすごく前向きな気持ちに満たされました。


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