10/3から10/13までの記録


先週末から秋田と宇都宮を往復してバタバタしていましたが、忘れずにおぼえておきたい出来事だったので一部始終を日記として書き残しておきます。



10/3(木)

めずらしくお昼過ぎに父から電話。

なんとなく予想はしていたのですが、半年前から入院していた祖母の容体がよくなくてこの週末(10/5,6)あたりが山ではないかと担当医師に言われたという内容でした。もともと祖母の容体がよくなくてこの冬は越せないだろうという話は聞いていたために4日と5日は私一人で秋田に帰る予定でいたのですが、急きょ予定を変えて家族全員で帰ることにしました。

当初一人で帰るつもりだったのは10月6日に山形市で開催されるマラソン大会に出る予定があって「山形まで行くのであればそのついでに秋田に寄るのもいいかな」なんて思ったからでしたが、さすがにそんな悠長なことはいっていられなくなったので予定を変えて家族を連れて帰ることにしました。


さらば、楽しみにしていた山形まるごとマラソン...*1


10/4(金)

午前中は子どもたちは学校や幼稚園へ行き、その間にわたしは仕掛の仕事を軽く整理。
午後からは子どもたちを休ませて一路秋田へ。今回は亡くなったあとはそのまま葬儀等も済ませるつもりで喪服やなにやらも必要でしたので車での移動にしました。

平日の東北道はいつもにもまして空いていてスイスイと移動。そして飛ばし過ぎて怒られるの巻。すいません...。

さて。いつもは男鹿昭和ICで降りるのですが今回はちょっと手前の秋田中央で降りて土崎ジャスコへ。
高校時代の友だちが土崎のジャスコで働いているのでお土産を渡してチョイチョイ世間話をして仕事の邪魔をしてきました。遊んでいるとき以外の友だちの姿というのはなかなか観る機会がないのでとても興奮しました。楽しかった!


その後実家へと移動して着いたのは22時ちょっと前。
本当は祖母の入院する病院に直行したかったのですが面会時間を過ぎていたし、移動がとにかく疲れたのでとりあえず寝ちゃいました。秋田は遠いし運転は疲れる...。

10/5(土)

朝から病院へ行き、午前中は付き添い。
とは言っても別に何をするわけでもなく、ベッドの横で本を読みながらバイタル関係のモニターを時折眺める程度で何にもできません。ときどき看護士さんがきていろいろと世話をしてくれたり様子を教えてくれたりしたくらいで、とくになにも変化なく午前中は過ぎちゃいました。

お昼過ぎに一旦帰り、近くのお店に昼食を買いに行って食べました。



店内調理とは言え、どちらかというと安さを売りにしているお店だと思っていたのでおいしくてびっくりしました。米が超おいしいんですよねー。


お昼を食べてからは葬儀屋さんとお話をしたり、遺影に使う写真を選んだり、あとは病院と実家を何度か行き来して一日を過ごしました。
まだ存命とはいえ、もういつ亡くなってもおかしくない状態だと言われていたのでいざその時がきたときにあたふたしないようにと少しずつ準備をすすめました。


病院に戻ると父が祖母と近しかった人に連絡をとったらしく仲が良かったけれど最近はあまり会っていなかった親戚が何人も来ていました。みなこれが最期だということを知っているので最初はすごい悲しそうにしていたのですが、普段会うことの少ない人が多く集まっているためか気付けば病室の中がとても穏やかで和やかな空気になっていておどろきました。

この光景はなんか見覚えあるなあと思ったのですが、おそらく「エンディングノート」の1シーンかなと思い至りました。
死期が近づいたお父さんのもとにアメリカから長男一家が帰ってきて病室でいっしょの時間を過ごしているシーンと似たような空気で祖母の病室の中も満たされていて、人生の中にこんなに幸せだと思える時間があるのかとただただ感心してしまうほどでした。
ほんとうに不思議な時間でした。



夕方になると高校時代の友だちがちょっと顔を見せに来てくれて1時間ほど話をしましたが、ずっと気が張っていたので少し楽になれた気がして助かりました。


この日は朝から祖母の容体が低空飛行ながらも安定し始めていてもしかしたらあと1週間近くはだいじょうぶなんじゃないかという話まで出はじめました。もちろんそれはそれでうれしいことなのですが、そうなると月曜日からはまたいつもどおりの生活に戻る必要があるためにいったん宇都宮に帰らなければなりません。

移動に片道6時間以上かかることを考えると「いつ戻るのか?」ということを考えなければなりませんし、そうなると最期を看取るつもりできたのにわたしが宇都宮に帰ると決めて秋田を離れるときが祖母との今生の別れになることになります。なんか自分で誰かとの離別を決めるのってすごく苦手で嫌だし、でもこんなふうに終わりを待つだけという状況もとても嫌だったりといろいろと考えれば考えるほどどうしていいのか分からなくなっちゃいました。

あれこれしばらく悩んだのですが、もうこれはもう当初の予定どおり山形のマラソン大会に走りに行ってそのまま宇都宮に帰る方がいいんじゃないかと結論づけちゃいました。もちろん言うまでもなく完全に現実逃避です...。

ところがそもそもマラソン大会に出ることは諦めていたので大会用のウェアはもってきていません。ただ、雑事の合間をみてランニングくらいはしたいと思っていたので靴と練習用のウェアという最低限の走る用意だけはしてありましたのでそれで走ろうと決め、家族には山形に行く旨を伝えて必要なものを抱えて実家を出発。一路山形へと向かいました。


飯島で給油してから秋田北ICで秋田道に入り、そこから湯沢方面に抜けて新庄経由で山形市へと移動。
その後国道13号線をひたすら南下して目的地の山形駅に着いたのは午前3時半過ぎでして4時間ちょっとかかっての到着となりました。やっぱり一般道メインの250kmというのは遠かった。

このまま朝まで路上に適当に駐車しちゃおうかとも考えたのですが、それはさすがに怒られそうというか駐禁を取られそうだったので駅脇の駐車場に入って止めてから走る準備をぜんぶ整えて仮眠をとることにしました。午前4時ちょっと過ぎまで眠れなくてぼんやりとしていたことはおぼえていますが、移動疲れはとても強烈で気付いたらあっという間に眠りに落ちていました。

10/6(日)

朝6時半。就寝から2時間ちょっとでアラームに起こされました。

たった2時間ですが、外はもう明るくなっていてかなりの好天になる予感がするほどの明るさでした。明らかに寝不足なのであまり晴れて欲しくないなあ...と思いつつ、ここまで来て荒天で中止と言われるのはさすがに悲しいので晴れてよかったと考え直しました。

買い置いた朝ごはんを食べてから7時過ぎに会場へと移動し、9時から走って1時間半でハーフを完走。



寝不足なうえに暑かったので正直すごくつらかったのですが、山形の見知った場所を走っているという状況に興奮してその勢いで何とか完走することができました。大学時代に研究室でお世話になった先生が大学前で手を振ってくれたのがすごく励みになりました。
でもこんな寝不足で走っちゃだめだなというのもつよく実感するくらいほんとしんどかったです...。

↑走り終えてじゅっきーに肩をもんでもらっているわたし。


さて。

あとは山形から仙台に移動して仙台で家族を拾うつもりでいたのですが、このまま秋田に戻らずに帰るのも何だかあまりにあまりな気がしまして結局秋田へととんぼ返りすることに。来た道を戻るだけの簡単なお仕事なんですが、でも4時間の長時間移動はつらかった。ほんとなにしてるんだろう...ってずっと考えていました。


結局秋田に着いたのは14時半過ぎ。

改めて病院へと行き、ちゃんと祖母に別れをつげて宇都宮に帰ることにしました。
日曜日の夕方ということもあって道路はわりと混んでいましたが、21時過ぎには宇都宮に到着。移動時間はやはり6時間ちょっとかかりました。何度も書きますが秋田と宇都宮は微妙に遠かったです。


秋田→山形→(ハーフマラソン)→秋田→宇都宮という移動を一日でこなすという何ともハードな一日でした。

10/7(月)

普段どおりの月曜日を過ごしました。上司に状況を話して今週忌引になりそうですという話だけしておきました。
途中なんどか父や母に電話をして容体を聞いたのですが、特に変わんないねえという回答。そりゃそうだ。

ただ、週末の宇都宮と秋田の長時間往復移動がこたえたのか長女が熱を出してしまいました。
片道6時間の距離を3日で往復したんだもん、そりゃ疲れたよな...。ちなみに次女は超元気でした。

10/8(火)

お昼過ぎに父から電話があり、そろそろダメだろうから準備しておいてという連絡。

明日から休んでもいいように仕掛の仕事を終わらせておこうと片づけていると妻から亡くなったよというメールでの連絡。仕事中だったので気遣って自宅に連絡してくれたっぽい。亡くなった直後はいろいろと準備で立て込んでいるようなのでこちらからも連絡はせず、社内手続きをお願いしたり、他の人にいくつか仕事をお願いしているうちに普段通りの終業時間に。

帰ってからは帰省の準備をしようと思ったのですが、週末に帰省したばかりだったので荷物は既にまとまっていて特にやることがありませんでした。長女の具合がよくなるまでは帰省も出来ないので急いで帰るわけにもいかず、とりあえず映画を観に行こうと「R100」を観に行ってきました。

びっくりするくらいおもしろくなかった...。

10/9(水)

朝起きたら長女の具合はだいぶよくなっていたのですがまだ少しだけ熱があったので午前中は帰らずに様子見することに。
会社はもう忌引休暇にしていたのですが仕事の残りもあったので少し出社して片づけ、その足で病院に出かけて薬をもらってお昼前には帰ってきました。お昼には長女の熱も下がってほぼ全快していたのでご飯を食べて少し休憩してから帰省することにしました。


平日の東北道は移動する大型トラックが多くてわりと混んでいました。
すごく眠くなったので途中でマコ*2に運転を変わってもらったりしながら移動し、18時前には長者原SAに到着。

晩ごはんはここで仙台味噌ラーメンとカレー丼のセットを食べました。食欲がなかったのになぜかセットを頼むわたし...。アホだ。
お腹があまり空いていないという子どもたちにはおにぎりとゆで卵を贈呈しました。


その後移動を続けて実家に到着したのは21時前。
今回、葬儀は自宅ではせず葬儀場を借りてやることになったそうでして家には母しかいませんでした。遺体は病院から自宅に一度連れて帰って着替えをし、葬儀場に移動したあとでした。最近は病院から直接葬儀場に連れて行くことが多いそうですが、半年以上入院を続けていた祖母を最後に一度自宅に連れて行きたいと母が言って連れ帰ったのだとあとで聞きました。長く一緒に住んでいた母らしいなと思います。

実家には必要な荷物だけをおろしてすぐに葬儀場へ移動。
葬儀場は比較的大きなバイパス沿いにあったのですが、そこはなまはげが闊歩する田舎ですので21時になろうかというところで暗くひっそりとしていました。


↑普段の眺め(半分嘘)


中の控え室に入ると父や叔父を始め、弟や従兄弟たちが勢ぞろいしていました。
それぞれには年に数回は会っていたのでそれほど久しぶりという感じではありませんでしたが、これだけのメンツが一堂に会するというのはたいへんめずらしくて思わず笑ってしまいました。病室でも感じた妙な非日常感がまだ残っているような感じでした。

祖母は既に奥の方に設置された棺に納棺されていましたが、一昨日に病室で見たときよりも穏やかな顔をしていて死別の悲しさよりも楽になれてよかったなという安堵した気持ちが先にわいてきました。


うちのあたりだけなのかどうかわかりませんが、誰かが亡くなったときは葬儀までのあいだの数日間は線香を絶やさないように夜も起きていなければならないことになっています。この日は父と弟、そして従兄弟とわたしの4人で泊まることにしました。運転してきて疲れてるんだよねーと言えなかったスモールハートなわたくし...というわけではなく、一番の身内であるはずなのに今まで何もしてこなかったのでせめてもの償いです。

そして23時過ぎにはほとんどの人が捌けて、残ったのは泊まる4人だけになりました。
こんなふうに4人が一部屋に集まって泊まることなんてまずないんだから近況報告ふくめ、みんなで話をしたいなーと思っていたのですが24時の時点でわたし以外の3人が全員寝てしまいました。君たちこれはいったいどういうことなの...。

百歩譲って父と従兄弟は亡くなった直後から雑事に追われて忙しかったようなのでしょうがないなと思うのですが、新幹線で移動してわたしと同じくらいの時間に着いたはずの弟がビールを飲めるだけ飲んで寝てしまったときにはぶん殴ってやろうかと思いました。

なぜおまえも寝るのだ!

ただ、酒を浴びるほど飲んでいるこいつを起こしたところで使い物にならないでしょうし、普段から会っているので別に積もる話もないしということで放置することに。もうだれも頼らん、おれが線香を絶やさずにがんばる!ということでスマートフォンいじったり本を読んだりしながら、ときおり線香を追加して過ごしました。


途中、あまりに暇だったので線香がどのくらいで燃え尽きているのかを調べてみたんですが置いてあった線香は20分で燃え尽きてしまうようでした。この時間が長いのか短いのかはすぐにピンときませんでしたが、昔の記憶をたどる限りでは自宅にある線香は30分〜40分は燃えていた気がするので短い気がします。
感覚的にも20分に1度線香を追加しなければならないというのはちょっと大変だなと思いました。


とりあえず何か音が欲しいなとテレビを付けていたのですがAAB(秋田の朝日放送)が大曲の花火大会の映像をバックに「今日の放送終わりだよ」というアナウンスを出して、放送終了。マジか...。そしてその後は他のメンバーのいびきしか聞こえない*3さみしい状況が続いたのですが、何度も線香を追加しているあいだにあっというまに3時になろうとしていました。

3時間経ってもまったく起きる気配のない3人を横目に見ながら携帯を開くと、充電しないとちょっと朝までもたなそうなレベルに定価していることに気づきました。充電器は実家に置いてきてしまっていたので充電もできないしどうしようかと悩んだあげく、歩いて実家まで帰って充電器を取ってくることにしました。

葬儀場と実家は距離にして300mくらいしか離れていないので歩いても7,8分で行けるんですよね。
行く直前に線香を付けて行けば、その線香が燃え尽きてしまう20分よりも前には戻ってこれるだろうしもし移動に時間がかかりそううだったら一旦途中で葬儀場に戻ってこようと決めて実家に帰ることにしました。


葬儀場の外に出ると信じられないくらいの暗闇がそこにひろがっていました。
音だけをたよりに大通りへと向かって歩き出したのですが、すぐに目が慣れてきてふと見上げると空にものすごい数の星が散りばめられていました。こんなにきれいな星を見たのはいつ以来か思い出せないくらいすごい美しい星空でした。

空を見ながらトテトテと実家へと歩き、5分ちょっとで到着。
我が家はたいへんな田舎ですので年がら年中家の裏口は施錠せず開けていたためにそちらから内部に侵入しようと試みたのですが、なんと裏口は完全に施錠済みでした。もちろん玄関は施錠されていますし、窓もぜんぶ鍵がかかっていたためにどこも開いているところがなくまったく入ることができませんでした*4

さすがに夜中の3時に母や妻を起こすわけにもいないため、充電器はあきらめて帰ることにしました。線香の時間もあるし...。でも火事場泥棒でもないけれど変な人が来ないとも限らないから施錠されていて当然ですよね...。

来た道をそのまま歩いて帰りました。

やっぱり星空はきれいでした。

戻るとまだ線香は残っていたのでホッとしてあたらしく線香を追加。
さて気を取り直して朝までがんばりますかとPSPに電源を入れてゲームを起動したところで弟が目をさましました。

いまさら起きてこられてもめんどくさいから寝てろよと言ったものの「もう眠れないよ」とか言い出したので、そのまま二人でボソボソと会話。

「そういえば星がすごいきれいだったよ」
「ふーん、でもまあ秋田できれいって言ってもたかが知れてるでしょ」
「んなことないって、最近見たことないくらいきれいだったよ」
「また大げさなこと言って...」
↓ため息をつきながら外に見に行く
「星すげえええ!」
「だろ!!」


その後も星がきれいだとかいつから秋田の星空はこんなにきれいになったんだというどうでもいい話で盛り上がっていたら、うるさかったのか従兄弟が起きてきました。


従兄弟「おはよう」
「おはよう」
「おはよう」
従兄弟「星がどうしたの?」
「星がすごいきれいなの」
「やべえよ、まじで」
従兄弟「ふーん、ちょっと見てくる」
↓外に見に行く
従兄弟「星すげえええ!」
「だろ!!」


周囲が真っ暗なのがいいんじゃない?とかちょっと寒くなってきたのがいいんじゃない?とか3人で星がきれいな理由について激論を重ねていて線香を追加するのを忘れそうになったのですが、さすがに3人いると誰かはちゃんとおぼえていて何とか線香を絶やさずに4時を迎えました。


4時を過ぎたあたりで父が起きだしてきたので、じゃあわたしも少し仮眠を取ろうかなということで4時過ぎに毛布にくるまって就寝しました。一日が長かった!


10/10(木)

朝7時過ぎに「そろそろ喪服に着替えてきて」という言葉で叔父に起こされました。
まだ3時間も寝てないんです...とも言えず、トボトボ歩いて実家に帰宅。朝ごはんが作ってあったのでそれを食べてから喪服に着替えてから葬儀場に車で移動しました。今度は家族といっしょ。


今日は祖母を荼毘に付す日です。


葬儀場に着くと親戚の人たちの多くも既にいらしていました。
わたしの結婚式以来という人もいれば、もうここ何十年と会っていない人もいてすごく懐かしさでいっぱいになりました。すぐに分かった人には挨拶をしたのですが、すぐに出棺の準備もしなければならずなかなか全員と言葉を交わすことはできませんでした。

その後もろもろの準備や手続きを経て斎場へと移動し、骨上げまでつつがなく済ませることができました。

この斎場は父方の祖父に始まり、何度も訪れたことがある場所です。
最後にここへ来たのは母方の祖父のときだったのでもう20年以上も前のことになるのでしょうが、そのときの記憶にある斎場とまったく印象が変わらなくてただただ懐かしさをおぼえました。初めて火葬の場に立ち会ったときに受けた衝撃はいまでも記憶にのこっています。


骨上げのあとは葬儀場へと戻り、明日のお逮夜や明後日の葬儀の話をいろいろと話して夕方まで過ごし、みんなで晩ごはんを食べてお風呂に入って早々に引き上げることにしました。さすがに今日寝ないとつらそうだったので、泊まりは他のメンバーに託して今日はちゃんと眠ることにしました。

泊まらずに帰るかわりに使いっ走りにされて近くのローソンにチキンラーメンと髭剃りを買いに行かされたのですが、徹夜することに比べたらぜんぜん楽なもんです。叔父二人は嬉しそうにチキンラーメンを食べ始めたのですが、父が「おれは鴨南そばがよかった」とごねて食べようとしませんでした。ちょっとかわいそうだったのですが、今日は本当に疲れていたのでごねている父を無視して帰途につきました。


遺体であっても祖母の顔を見ることができた前日までとは違い、骨になってしまったことで気持ちにひと区切りが付いたような気がしました。

10/11(金)

この日は午前中から夕方まではとくに予定もなく、片づけをしたり夕方からのお逮夜、明日の葬儀の準備をしていました。
あとは連日の徹夜や慣れないイベント続きもあって、みな一様に気疲れしているようで気付けばあちこちで居眠りしていました。わたしもおつかいを済ませては寝て、子どもたちと遊んでは寝て、ご飯を食べては寝てと細々と睡眠をとってしまいました。

ときどきくる弔問客とお話をしていたらあっという間に一日が過ぎてしまいました。
小中学校のときの同級生のお母さんがきてくれたのが一番びっくりしたかな。


夕方からはお逮夜という葬儀の前夜祭みたいなイベントがありまして、親戚や祖母と懇意にしていた人たちに集まっていただいてお経をあげたあとにみんなでご飯をいっしょに食べました。このとき、参加した方の席はすべて決まっているのですがわたしの隣にきたのは親戚の中で一番苦手な人でした。

口を開けば嫌みか自慢しか出てこない人で常に上から目線というか小馬鹿にしたようなことばかりいうたいへん不愉快な人です。この日も「今回の葬儀はぜんぶでいくらかかったんだ、うちの爺さんのときは寺に包んだ分だけで100万以上かかったけどな!」とか「このあいだ食べたイカに比べたら今日の料理はとても食べられたもんじゃない」とか散々好き勝手いっててうちの婆さんよりもこいつが先に死ねばよかったのにと本気で思ってしまいました。

もちろんわたしは大人なので余裕の笑顔とウィットにとんだ回答で撃退してやりましたが、こういう場に来てまで自分のエゴを抑え込むことができない幼稚さに腹が立ったし田舎のダメなところの塊みたいなおっさんには心底うんざりしました。


開始5秒でこいつの隣の席に座っているのが嫌になったので早々に離脱して久々に会う方々にお礼がてら挨拶をしてまわりました。

帰省するたびに会っている人もいますが、多くは久しぶりに会う人ばかりでどの人とも長く話し込んでしまいました。こういう機会でもなければなかなか顔を合わせることもないし、もしかしたらこれから先もほとんど会うことがない人が多いことに気づき、あちこちにお酒をついで回りながら「わたしはいますごく貴重な時間を過ごしているんじゃないか」ということをずっと考えていました。


列席してくれた方々を見送ってから一旦帰宅して着替え、戻ってきて今日はわたしも泊まることにしました。
明日が葬儀なのでこうやって線香を絶やさないようにするのは今夜が最後ですし、せっかくこうやって帰ってきたんだから少しは役に立ちたいという思いもあって泊まることにしました。弟と従兄弟も同じことを考えて泊まることにしたらしく、若い男性陣(当社比)が今日はがんばることになりました。

テンションがあがってきたわたしは「今日は寝ないでみんなでがんばろうぜ!」と声をかけるとなんと二人は既にビールを飲んでいました。しかも500ml缶を3本以上も。こいつら速攻で寝る気や...。


そういえば泊まった初日もこいつら2秒で寝てたな...と思いだし、思わず遠い目をしてしまいました。


泊り組をのぞいてみんな帰ってしまい、残されたのは父の兄弟3人(全員眠りの世界へと逃亡中)とビールをたらふく飲んでいるために明らかに頼りにならなそうな弟と従兄弟、そしてこの場に唯一残された良心いとっとの3人になりました。従兄弟は3本、弟は5本以上のビールを空けており、もはや飲むか寝るかの二択しか彼らには残されていないように見えます。

線香が消えないようにみんなでがんばろうって言ったじゃん....。


「もうビールいいだろ...」
「ははっ(ビールをまた開ける)」
「お前ら速攻で寝そうだしPSPの電源もってくればよかった」
「え?その年でまだゲームやってんの?」
「うるせえよ」
従兄弟「そういえば、おれ今度プロポーズしようと思ってるんだよね」
「へえ...それよりお前らビール飲み過ぎじゃね?」
「ふーん...あ、ビールあと2本しかないけど俺飲んでいい?」
「もういいかげん飲むなよ...。」
「どうせ残したら持って帰るだけなんだから飲んj...」
「え?プロポーズ!!?」


何の前触れもなく繰り出されたプロポーズ大作戦開始の予告にわたしと弟はびっくりしてしまい、思わずスルーしそうになっちゃいました。こういう大事な話はもうちょっと前置きがあるもんだと思い込んでいただけに、反応することすらまともにできませんでした。まさにノーモーションのジャブのごとく、われわれ兄弟のハートにうちこまれたのでした。

そこからは相手が誰だとか、どういう人なんだとか、いつプロポーズするんだという話で盛り上がり、そこからさらにいつ結婚式するんだとかおれもぜったいに呼んでくれとか何だったら余興やるぞなんてところまで大いに盛り上がり、ぶっちゃけると線香を追加するのを一回忘れました。

ごめん、ばあちゃん...。

結局3時までそんな話で盛り上がったのですが、ビールを散々飲んでいた二人はじょじょに睡魔に襲われて眠りの世界に連れ去られてしまいました。やっと静かになった。

そうこうしているうちに眠りの世界へ旅立っていた父や叔父たちが起き出してきたのでしょうもない雑談をして、もうバトンタッチをしてもよさそうだったので今度はわたしが寝ることにしました。ただ、この場所で寝るとゆっくりと眠れなそうだったので歩いて実家に帰って自分の布団で眠りにつきました。最後に時計を見た時点で4時半を過ぎたくらいでした。

またもや長い一日でした。携帯の充電を開始したと同時に眠りに落ちました。

10/12(土)

朝、7時半くらいに「ご飯だよ!」という次女の元気な声に起こされ起床。
携帯の充電は終わっていましたが、わたしの充電はまったく終わっていません。眠すぎる...。


葬儀は午前中の早い時間に始まり、食事も含めてお昼過ぎには終了しました。
前日のお逮夜も多くの方がきていたのですが、葬儀はもっと多くの人がきていておどろいてしまいました。仙台からは妻のご両親もかけつけてくれたし、小学校時代の友だちのお母さんや遠縁の親戚の方もきてくれてたくさんの方に列席していただきました。

こうやって集まってくれるのはすごくありがたいことだなと思ったしそのことには感謝の気持ちでいっぱいになりましたが、一方でわたしがもし死んだときにはもっとひっそりとやって欲しいというか、こんなにたくさんの人に集まってもらうのは申し訳ないなとも思いました。


午前中ですべて終わり、この4日間を過ごした葬儀場をあとにして実家に帰りました。
祖父を亡くした25年前は自宅ですべて行ったのですが、あのときに比べると家族の負担はすごく減ったなと思います。もちろん金銭的な負担は増えたというか少なくありませんが、それでも雑事に気を取られることが無くなるのはとてもいいことだと思いました。今までは葬式くらいアウトソーシングしなくても自分たちでやれるんじゃない?と思っていましたが、他人に任せられるところは任せた方がいいなと考えを改めるに至りました。


実家に戻って落ち着くと、しばらく走っていないことを思い出してちょっと体を動かしたくなりました。



10kmちょっとの短い距離でしたが、全力で走ってすごくすっきりしました。
こういう鬱々とした気分になったときに走ることでストレス解消できるのはとてもうれしいです。走っててよかった!

走って帰ってくると母方の従兄弟が遊びにきてくれていてひさしぶりに会いました。
弟は私の結婚式以来、ほぼ10年ぶりに会うらしく超うれしそうにいろいろと話していました。

そんな弟も明日から仕事だそうでして、今日の夕方には秋田を発つことになっていました。
父も母も家を離れられないということで、新幹線で帰る弟をわたしが秋田駅まで送ることにしましたが、今回は昨日一緒に泊まった従兄弟と妻も見送りたいということで4人で秋田駅まで行くことにしました。


「なんかこの4人でいっしょに行動するのって初めてだよねー」
「おれがいなくなるからみんな寂しいんでしょw」
従兄弟「ねえよwwwwwさっさと東京に帰れよwwwww」
「そういえば従兄弟はいつプロポーズするんだっけ?」
従兄弟「14日がいいと思ってるんだけど」
「14日はおれ茂木でマラソン大会だわ」
「おれはふつどおり仕事」
「え?14日って明後日じゃない?」
「明後日なわけないj...あれ?」
従兄弟「明後日だね」
「ええーすぐじゃん!!」
従兄弟「じつは秋田駅前のお店に婚約指輪を予約してあるからそれを取りに行こうかなと思ってるんだ」
「ああ弟の見送りのついでにちょうどいいというか、むしろ見送りがついでだな、どう考えても。」
「え?ついでなの?」
「そんなことよりプロポーズはだいじょうぶそうなの?」
「そんなことって...」
従兄弟「たぶん大丈夫だと思うけど自信なくて...」
「プロポーズって100%受けてくれる人にするもんじゃないの?」
「そういう人ばかりでもないんじゃない?」
「そんなこと...」


結局、車の中でも従兄弟の結婚話がメインで盛り上がり、秋田駅までの1時間も楽しい時間になりました。
悲しいことがあった直後なだけにこういううれしいライフイベントの発生が嬉しくてしょうがなかったし、きっとこの場にいたメンバーはみんな同じくらい嬉しい気持ちでいたんじゃないかと思います。

駅到着後、切符を買った弟を見届けた従兄弟はさっそく指輪を取りに出かけ、わたしと妻と弟は1Fのロッテリアで妄想に妄想をふくらませて盛り上がっていました。10分もしないうちに従兄弟が指輪を持ってきたので拝見させていただきました。神々しい!


結婚式はいつやるんだとか、やるなら呼べよ、いや変なことされそうだから呼びたくない、こないでほしい、そんなこと言うなよと話しているうちに、弟の乗る新幹線がくる時間が近づいていました。帰る本人もふくめ、秋田駅まで何をしにきたのか忘れていましたよ...。弟を見送りにきたのでした。



めずらしく寂しそうな背中を見せてホームへと消えて行った弟を見送り、残された3人は実家へと帰ることに。帰り道も結婚式の話は尽きませんでした。


帰宅後、親族一同集まって晩ごはんを食べたのですが連日の徹夜もふくめみんなもう疲れ果ててしまったのかすぐに解散となりました。
わたしも本当は仕事を少し片づけたかったのですが、眠気には勝てずお風呂に入ってすぐに寝てしまいました。やっと全部終わりました...。

10/13(日)

朝起きると既にみんな起きていて朝ごはんを食べていました。

半分寝ぼけながら朝ご飯を食べ、着替えなどの荷物をまとめて車に乗せて帰る準備を始めました。
そんなわたしを両親や叔父たちは引き止め、香典やら葬儀にかかった費用についてのサマリーを説明したのちに「次に俺らが死んだらこのくらいかかるんだからな!」「じゃあその金貯めてから死んでね」などといういまいち和まない会話でもりあがりました。死んでもお金がかかるというのはしょうがないこととは言っても何となくやるせないもんですね....。

話がひと段落すると「来年はみんなで家族旅行しようぜ!」「おれ伊豆がいいなあ」「遠いから熱海とかでいいよ...」「2泊3日で伊豆にしようぜ!」「おれはあたm」「じゃ6月空けとけよ!」という最後はやたら一方的な会話で打ち切られてしまい、来年は親戚が集まって旅行するという話でまとまってしまいました。

ひさしぶりにこんなふうに集まっていっしょに何かをしたということもあって、やたら距離が縮まったような気がしますし、その勢いでまたみんなで集まって何かしたいと思う気持ちはわからなくはないなとも思いました。祖母が亡くなったことはとても悲しいことですが、でもそのおかげでこうやってみんなが顔を合わせる機会が出来たし、いっしょに葬儀まで終えるというミッションをクリアすることができました。

うまく言えませんが、家族・親族と過ごしたこの数日間は祖母からの最後のプレゼントとしてもらったようなそんな気持ちで過ごしました。葬儀が楽しかったというのはすごく不謹慎に思われるかも知れませんが、でも十分がんばりとおして生を全うした祖母の死は決して悲しさだけを生み出すものではありませんでした。
むしろ祖母をみんなで役割を分担して見送るという共同作業をとおしてひさしぶりに家族一同が介する機会を得られたとも言えるし、そのことがただただうれしかったです。


そんなわけでひさしぶりに実家から離れがたい気持ちになったのですが、さすがに1週間以上にわたって不規則な生活を続けていると疲れも出てきましたので、今日は早々に宇都宮に帰ることにしました。すっかり曜日感覚が失われましたが、今日は3連休の中日でして道路が混むことは間違いありませんでしたのでお昼前には実家を出発しました。

秋田道はそんなに混んでいませんでしたが、福島トンネルあたりから徐々に混んでいる場所が出てきて、那須ICからかなりの渋滞が起きていました。しょうがないので那須ICで降りてあとは4号をひたすら南下して帰ったのですが、4号も結局それなりに混んでいまして自宅に着いたのは出発から10時間近く経ってからでした。

今日は本当に疲れたのでさっさと寝て3連休の最終日である翌日はのんびりしようかとも思っていたのですが、スルーする予定だった翌日のマラソン大会に出ようと覚悟を決めて夜はさっさと就寝しました。ここ数日、まったく走っていないのでさんざんな結果になりそうな気はしましたが、でも思いっきり走ってストレスを発散させたかったので出ることにしました。


長かったような短かったような怒涛の1週間でした。


まとめ

  • 祖母をちゃんと送り出せてよかった
  • 両親のときは自分が喪主なのか困ったなあと思ってたけどあの程度ならがんばれそうな気がした
  • 旧知の人にたくさん会えてうれしかった
  • 人と人のつながりって悪くない
  • 自分の葬式は超簡素化したい
    • できればオンラインで全部済ませるような仕組みを考えようと思う
    • 香典はオンライン決済対応
    • お返しはAmazonギフト券
    • 参列して焼香するまでを1クリックで完了

*1:この時点では本当にそう思っていたのでホテルもキャンセルしたし会っていっしょにご飯を食べる予定だった先生にも断りの連絡を入れていました

*2:

*3:そういえば誰も信じてくれないのですが一人で起きている間、何度もラップ音を耳にしました。でもぜんぜん怖くなくて「ああ、これがラップ音か」とやけに達観した面持ちで聞き入ってしまいました

*4:あとで聞いたら最近は物騒なのでちゃんと施錠しているそうです