「三月の招待状」読んだよ

三月の招待状 (集英社文庫)

三月の招待状 (集英社文庫)

8歳年下の彼氏と暮らす充留は、ある日、大学時代からの友人夫婦の「離婚式」に招かれる。昔の仲間が集まるそのパーティで、充留は好きだった男と再会するが、彼は人妻となった麻美とつきあいはじめ…。出会って15年、10代から30代へと年齢を重ねた仲間たち。友情、憧れ、叶わなかった想い―再会をきっかけによみがえるあの頃の記憶と、現在の狭間で揺れる姿を描く、大人の青春小説。

http://www.amazon.co.jp/dp/4087467406


大学生のころからずっと仲の良かった人たちを、そのグループを構成する人たちそれぞれからの視点で切り取った群像劇でしたが、終始しかめ面しながら読みました。本作にはストーリーというのは特になくて、わたしと同じ年齢の登場人物たちが30代半ばくらいであればわりとありがちなイベントをこなしていく、そしてそれに対する個々人の心情を描いているだけの内容です。

だから内容そのものが合わなかったというわけではなく、どちらかというと苦手だったのは登場人物たちの行動や考えが眉をしかめずには読めないようなものばかりだったためです。

たとえば離婚をするのにわざわざ離婚式を行うカップルなんてのがよい例ですが、他人を裏切ることにまったく無頓着なくせに傷つくことには過敏だったりと、誰一人もろ手をあげて好きになれるような登場人物が見つからなかったのです。くわえて、このグループのメンバーの誰かになにか問題やイベントごとがあるとすぐに集まろうとするその行動パターンも含めてなんかもう全部嫌で嫌でしょうがなかったのです。


ここまで書いてふと思ったのですが、本書の著者である角田さんはわりといじわるな人、というかそういった他人の嫌な面を描くのがうまいんじゃないかと思いました。

先日、同著者の「森に眠る魚」を読んだばかりですし、最近角田さんの本をよく読んでいるのですが、どの作品にも読む人が目をそむけたくなるような一面をその登場人物の個性として強調して描いているように感じたからなのです。この作品で描かれているような人というのはさすがにいないのですが、「強調」と書いたとおり、もう少しまろやかにしたタイプの苦手な一面をもつ人というのはわりとすぐに思いつく、そんな人がよく出てくるように思うのです。


そしてそういう一面、たとえば自意識が強かったり、めんどくさい性格だったりというのはどこかしら自分にも思い当たるところがあって、その痛々しい部分を指摘されているようでとても不快に感じていることに、本書を読み進めながら気づかされました。


苦手だけどどうしても嫌いになれないし、読まずにはいられない。そんな作品でした。